小説

  • 君はフェンスの向こう側

     吹き上げてくる風が鉛のように重い。深く息を吸えば、どろりとした陰気な空気が肺を満たす。元より気怠かった体が、一層重鈍に感じられた。けれどそれとは裏腹に、膝から下は羽のように軽い。それだけが、今の私に…
  • 沼底に沈む

     それは沼底に沈んでいる。沼底の、きらきらと輝きまたどろりと粘つくような手触りの、腐臭の染みついた汚泥の中に、手のひらで包み込まれるようにして、確かにそれは埋もれているのだ。  ***  すべてのもの…
  • カエルの死骸

     アスファルトの敷かれた道路の上で、カエルが死んでいた。情けなく手と足を広げた格好で、ぺしゃんこになっていた。車に轢かれたのであろう。口からはピンク色の内臓が飛び出していたが、それも体同様に潰れている…
  • 静謐遠く

     黒霧漂う地平線。そこから広がる空は、群青、茜色を挟み、突き抜ける青、そして目映い金色を同時に湛えている。  大地を覆う温かな土の上に走る濃緑。それは溜まった雨水が腐り果てた末に生じた色だ。双方の色が…
  • モノクロームの色彩

     黒一色に塗りつぶされたこの世界で、ひとりの男が昇っている。――階段を。  男の足元には、見えない階段が伸びていた。否、本当は見えていて、しかしただ階段自体が、世界と同じ黒に染まっているだけかもしれな…
  • 願いは、ラムネ色の夢

     湿気を孕み限界まで熱膨張を繰り返した空気の感触は、静かで穏やかかつ、圧倒的な暴力だ。見えないいくつもの手で荷重をかけてくるそれは、被制圧者の抵抗心すら、ぐずぐずと浸食するように、音も無く崩していく。…
  • 赤い目覚め

     触れることのできないその赤を、私は美しいとさえ感じた。その感覚は、まさに赤い目覚めであっただろう。  三角錐を逆さにし、そこから角という角を奪い去り、上向きになった底の部分を発展途上の少女の胸部のよ…
  • 僕とおっぱい

     愛が地球を救うなんてテレビではよく言ってるけど、僕はそんなのは、嘘っぱちだと思う。そもそも愛だけで地球が救えたら、争いなんて起こるはずもないじゃないか。 「――僕は思うんだ。こんな荒んだ世の中で僕を…
  • 喫茶店の街

     私が初めて喫茶店というものに入ってみた時、そこの主人はあからさまに嫌そうな顔をして「イヤホーンは外してくれないか」と告げた。  その言葉に、自然と眉根が寄った。 「イヤホーンなんて、してませんよ」 …
  • イトマキニンゲン

     アパートを出て、駅に向かうまでの道のりで、『今日はいやに人通りが少ないな』と、なんとなくは思っていた。本当に『なんとなく』だ。けれど、両耳は音楽プレイヤーから伸びたイヤーフォンで塞がれて、外の音なん…