何の変哲もない日曜日、食卓にて。

 いつも通り、穏やかな日曜の朝だった。

 午前十時。ようやく起き出してきた悠は、のろのろと誰もいない食卓に座る。洗濯機の音が家の奥から聞こえてくる。食卓の窓から見えるガレージには、父親の車が見えた。

 ラップのかけられた朝食がテーブル上に並んでいた。ぼうっとそれを眺める。あまり腹が減っていなかった。

 少しだけ食べて、残りはいつものように片付けよう。

 寝ぼけた頭でそう考えていたところに、

「相変わらず起きるのおっせえのな」

 背後から声をかけられた。男の声だが、その声の主は父ではない。

「余計なお世話」

 振り返らずに、悠は皿からラップを剥して丸めた。そしてテーブルを挟んだ壁際に置かれたゴミ箱へと、それを投げる。丸まったラップはゴミ箱の縁にあたり、床に転がった。

「ノーコン」

 男はぷっと吹き出すと、ゴミ箱のそばまでぺたぺたと足音を立てて近付いた。悠が投げたラップを拾い上げて、ゴミ箱に捨てる。

「悠くーん? 散らかすと、おばさんに怒られっぞー?」

 悠の向かいに座りながら、彼は戯けた調子で言った。

「うるさい。邪魔。用がないなら帰れよハル」

 ハル――晴次には一瞥もくれずに、悠は皿の上のトーストを手で千切る。

 晴次は悠の幼馴染だ。悠の家の隣に住んでいて、幼い頃、悠は何をするにも晴次と一緒だった。そして毎朝のようにこうやって食事中の悠のもとにやって来る。悠の両親も、晴次のそんな行動を注意することもなかった。むしろ「うちの悠をよろしく頼む」と言わんばかりの歓迎ぶりだ。悠も彼に特段不満も何も抱いていなかった。けれど、それも中学生までだった。

 思春期を迎え、悠は『何かが違う』ことに気付いた。その『何か』の正体も、どう違うのかも解からなかったが、確かに『何かが違って』いたのだ。漠然とした不安感が悠につきまとい、そのうちに悠は晴次と共に行動することをやめてしまった。けれど晴次は、これまでと同じように悠に接してくるし、朝も変わらず悠の家を訪れる。

「なにを今更。それに、どうせ半分、俺にくれるんだろ?」

 図星だった。

 悠はあまり多く食べる方ではない。むしろ食は細い。けれど悠の母は昔からいつも食べきれないほどの朝食を悠の皿に盛り付ける。朝からこんなに食べられないと何度抗議しても聞き入れられたためしはない。「残さず食べるのよ」そういい残して、母は家事をするため食卓を後にする。仕方なしに悠は、たまたま家にいた晴次に朝食を片付けるのを手伝ってもらった。それが今もこうして、日課のように続いているのだ。学校だけではなく、在宅中でも晴次と距離を置きたいのは山々だったが、朝食だけはどうしても、彼の手を借りざるを得ない。何とも情けない気分だった。

「半分じゃない。……三分の一」

 山盛りのサラダを、自分の分だけ小皿にとり、かけらほどしかないトーストをその上にのせる。残ったサラダをサラダボールごと差し出した。それから、ほとんど一枚と言っていいほどのトーストがのせられた皿を手にして、それを晴次の目の前に突き付ける。

「あげる」

「どーも。ところで、貰っておきながらなんだけどさ」

 皿に晴次の手が伸びる。

「もうちょっと、食った方がいいんじゃね。細すぎだろ、お前」

「ちょっ……」

(熱い――)

 晴次の手は、皿ではなく、悠の手首を掴んでいる。触れられた箇所が、炎に晒されているように熱を帯びていた。

 かちゃ、と乾いた音がした。皿が落ち、その拍子にトーストがテーブルの上に放り出される。

「は……なせよ!」

 悠は思わず晴次の腕を振り払っていた。

(何も知らないくせに)

 口に出せない憤りが悠を支配する。

「おい、悠?」

 おろおろと所在なさげに、晴次は立ち上がった。宥めようとしているのか、またぺたぺたと足音を立てて悠の元に近付いてくる。

 悠もふらりと席を立つ。そして近付いてきた晴次の両肩に、おもむろに手を置く。そして、

「う、わっ……!」

 だん、と床に体が打ち付けられる大きな音がした。晴次の背が、床についている。突然の足払いであっさりと倒されたのだ。悠はその上に覆いかぶさるように乗りかかり、彼の肩を床に押し付けていた。

「って……」

 悠の下で、晴次が痛みに顔をしかめている。

「…………から」

 ぽつりと悠は呟いた。

「え?」

「ハルのことが、好き、だから……」

 胸の奥の霧が晴れていくようだ。

 『何か』の正体に、悠はようやく気付いた。

「だからもう……うち、来んな。帰れ」

 絞り出すように悠が漏らすと、晴次は「うーん」と唸って暫し逡巡したのち、

「じゃあ、悠が残さず朝ご飯を食べられるようになったら、もう来ない」

 そう言って、微笑を浮かべた。ずっと共に過ごしてきた悠が、初めて目にする柔らかな表情だった。

 そして次の日も、その次の日も、晴次は悠の家を変わらず訪れた。

 何の変哲もない、普段と同じ穏やかな日曜日。

 向かい合って食卓に向かう二人の関係だけが、ほんの少し変わった。 

(了)

       
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