短編
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昨日の明け方から、雨は降りだした。今日の日暮れになっても、まだ止んではいなかったが、夜が更けた今でも、それはどうやら続いているらしい。 「外はすごい霧だ」 玄関に入るなり、彼は濡れたその広い肩を手…
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純白のシーツの上に桜の花弁が散りばめられていた。ガラス越しに差し込む陽射しが暖かく、また、僅かに開けた窓から吹き込む穏やかな南風が、遠くから柔らかい新緑の香りを伴って、私の頬を擽る。満開の桜が立ち並…
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これは、自慰ではない。 葉山好男は、硬く屹立した自身の性器を右手のひらで包み、上下動でそこに刺激を加えながら、徐々に芯を失い痺れていく頭で、そんなことを考えた。 傍目からは自慰としか見えないこの…
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夢を見た。私はその夢の中でだけは、私という人間ではなかった。本来の私の姿形ではなく、私ではない別の男の皮を被っていた。私ではないこの男は、しかし夢の中に於いては、確かに私であった。 酷くややこしい…
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私は、もうずっと長い間、旅に出たかった。どこの街へという明確な目的地があるわけではない。ただ、輝くような青い海と空を見たいと思っていた。 小説家として生計をたてはじめてから十五年の間暮らしているこ…
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それは沼底に沈んでいる。沼底の、きらきらと輝きまたどろりと粘つくような手触りの、腐臭の染みついた汚泥の中に、手のひらで包み込まれるようにして、確かにそれは埋もれているのだ。 *** すべてのもの…
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黒一色に塗りつぶされたこの世界で、ひとりの男が昇っている。――階段を。 男の足元には、見えない階段が伸びていた。否、本当は見えていて、しかしただ階段自体が、世界と同じ黒に染まっているだけかもしれな…
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湿気を孕み限界まで熱膨張を繰り返した空気の感触は、静かで穏やかかつ、圧倒的な暴力だ。見えないいくつもの手で荷重をかけてくるそれは、被制圧者の抵抗心すら、ぐずぐずと浸食するように、音も無く崩していく。…
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触れることのできないその赤を、私は美しいとさえ感じた。その感覚は、まさに赤い目覚めであっただろう。 三角錐を逆さにし、そこから角という角を奪い去り、上向きになった底の部分を発展途上の少女の胸部のよ…
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アパートを出て、駅に向かうまでの道のりで、『今日はいやに人通りが少ないな』と、なんとなくは思っていた。本当に『なんとなく』だ。けれど、両耳は音楽プレイヤーから伸びたイヤーフォンで塞がれて、外の音なん…