カミさまのいうとおり!第6話
「そうなのかい? 誰を探しているの? 温室には何人か残っているから、彼らの中に、琴子が探しているひとがいるかもしれないよ」
「えっ、本当ですか! 実は、恵比寿というひとを探しているんですけど……温室にいます?」
まさかの助け船。私は嬉々として、寿老に尋ねた。
途端、寿老の表情が曇る。
「残念だけれど、恵比寿くんは、ここにはいないよ。……琴子、あれから彼と話したのかい?」
あれから、というのは、恐らく入学式の日のことだろう。
「あ、いえ――」
左右に首を振る。寿老は「そう」と呟くように言って、その顔に僅かに笑みを戻した。
「あの、お友達なんですか?」
彼の口ぶりからすると、見知らぬ他人という訳ではなさそうだ。案の定、私の問いに、寿老は小さく頷いた。
「まあ、ね」
そう言って、彼は口を噤んだ。私から視線を逸し、考えごとをしているように見える。
恵比寿が温室にいないのであれば、ここには用はない。なるべく急ぎたかったが、そのまま寿老の元を立ち去るのも気がひけた。
ふと、あることに気付く。恵比寿と友達というなら、もしかすると居場所が分かるのではないか?
先程は、栗栖から情報を得ておくのを忘れて後悔をしたが、この度ばかりは、私もぴんときた。居場所が分からなくても、校内にいるかいないかぐらいは知っているかもしれない。とにかく、何の情報もなしにあてもなく校内を探すよりは、大なり小なり彼から情報を聞き出した方がよっぽど有意義だ。
「寿老先輩、その、恵比寿さんがどこにいるか、分かりませんか? どうしても、今日中に会って話がしたくって……。あ、もう校内にいないなら、クラスだけ教えてもらえれば――」
「琴子」
寿老の右手が、私の左手を掴んだ。
「せ、先輩?」
予期せぬ彼の行動で、驚きのあまり心臓が大きく跳ねた。思わず周囲を見回すが、相変わらず私たちの他に生徒の姿はない。誰にも見られていないことに、ほっと胸をなでおろすが、しかし見られていなければいいという、そんな単純な問題でもないことにすぐに気付く。
彼は真剣な目で、私を見ていた。そこに笑みはない。少し、寂しそうにも見えた。以前、寿老の同じ目を、私は見たことがある。暑い夏の日、バラ園を見下ろす丘の、木陰の下で。
「彼とは、会わない方がいい」
寿老は私の手を離さないまま、絞り出すような声でそうこぼした。
「……え? でも、私、どうしても――」
寿老の言葉は意外なものだったが、だからといって「はい、そうですか」と納得して、恵比寿と話をしないわけにはいかない。
『あの計画がうまくいくはずない』
あの発言の真意を、彼に問わなければならないのだ。
「駄目だ!」
寿老が声を荒げた。突然の大きな声に、反射的に全身が震える。掴まれた手を通じて、それが寿老にも伝わったのか、彼は小さく「ごめん」と呟いた。
何故彼がここまで必死になるのだろうか。私は、恵比寿と話をしたいだけだというのに。
けれど、普段穏やかな寿老が、こんなにも必死になるのだから、そこには、私には分からない理由があることは確かだろう。
「……私、寿老先輩に止められても、恵比寿さんと、話をしないといけないんです。どうしても、会わなきゃいけないんです」
私は、空いた右手を、寿老の右手に重ねた。彼ははっとした様子で、私を見た。今にも泣きそうな顔をしている。
「そう……。なら、無理に引き止めることはできないね」
そんな顔に、彼は無理やり笑みを浮かべた。いつもの、上品で穏やかな微笑の影が、その中に僅かばかり潜んでいる。
「僕は……君に、傷ついて欲しくない。それだけなんだ。これだけは、分かって欲しい」
言葉とともに、左手が解放される。私が重ねていた右手の中から、彼の右手が、惜しむようにゆっくりと抜け出ていった。
「傷つく……? 私が?」
恵比寿と会えば、私が傷つくと、彼はそう言っているのだろうか?
「――恵比寿くんは、きっと君を傷つける。それが僕には分かるんだ。僕と彼は、友達、だからね」
そう言葉を紡いで、浮かべた苦笑はどこか悲しげだ。
「それに――」
寿老は肩を大げさにすくめ、そして溜息を吐く。
「好きな女の子が、傷つくと分かっているのに、黙っていられるわけがないだろう? ましてや、僕以外の男に傷つけられるなんて、ね」
(ま、眩しい)
寿老は、後光が射したようにキラキラと輝いていた。正確に表現すれば、太陽が傾き、角度が変わったことで、校舎に遮られることなく彼を照らしていた。
「勿論、僕なら琴子を傷つけるようなことなんてしないけど」
冗談めかして、彼が言う。
「そそ、そう、ですか」
随分と直球に、何か、こう、恥ずかしいことを言われた気がする。いや、寿老には既に色々と言われてはいるのだが。例えば『ジュテーム』――勿論、ここで思わず『ジュテーム』と呟かない程度には、私も成長している。けれど、無性に顔が熱いのは、どうにも隠しようがなかった。
「と、とにかく、私、恵比寿さんに会ってきます。今どこにいるか、分かりますか?」
動揺しながらも、私が尋ねると、
「温室の裏から入れる、山の中にいるよ」
彼は体を捻って、温室の方向を指さした。そこには、木々がうっそうと生い茂っている。
「山……ですか」
なるほど。そんなところにいれば、どれだけ校舎内を探しても見つからないわけである。普段から校内で出くわさなかったのは、もしかすると、彼がいつも休み時間をその山の中で過ごしているということなのかもしれない。
「一応、道はあるから。そんなに深い山ではないしね。入口から五分くらい歩けば、川がある。恵比寿くんはそこにいるよ」
寿老の言葉に、大きく頷く。
「ありがとうございます。私、行ってきます」
そして礼を言い、軽く頭を下げる。
「琴子、くれぐれも気を付けて」
「はいっ」
寿老の声を受け、私はその場から駆け出した。ちらと振り返ると、寿老がこちらに向かって手を振っていたので、私も小さく振り返す。
そして、普段は近付くことのない、温室の裏を目指した。
これを山、と表現していいのかは分からない。初めて見るその入口は一見、林のようだったが、左右に広がる木々は高く聳え、ここからその奥深さを伺うことはできない。
そもそも、入口といっても何の案内もない。ただ少し、林が切れている部分があり、獣道のようなものがあるから、恐らくこれが入口なのだろうと察するに至ったのだ。
生い茂る木々により、林の中は少し暗い。強い西陽も、どうやらここまでは届かないらしい。
意を決し、そこへ足を踏み入れる。制服から露出した膝に、かさかさと、冷たい草が触れる。朽ちた葉で覆われた地面はやや水分を含んでいるのか、柔らかく、踏みしめた靴裏が、ぐっと沈み込む感覚があった。この光のほとんど届かない場所に漂うひんやりとした空気は、長袖のブラウスを着ていてもなお、肌にまでじわりと伝わってくる。
一歩、また一歩、足を進める度に、恵比寿は本当にこの奥にいるのだろうかという不安が増していく。けれど同時に、寿老が嘘をつくはずがないという思いも強くなり、胸の中は矛盾で溢れた。
しかし、決して足を止める訳にはいかない。私はせめて、川を見つけるまでは進んでみようと決めた。
川を見逃さぬよう、右に、左に、目をこらしながら進んでいく。
不意に、左の茂みから、ざざ、と草をかき分ける音がした。
「ひぃっ!」
すぐに音のした方向を確認するが、そこには何もいない。
(き、気のせい……かしら? でも、もしかして、熊とかだったら……)
熱い決意と勢いで足を踏み入れたものの、山の中に入るのは初めてだ。いまこうやって、不気味な物音を耳にするまで、山に棲んでいるであろう野生動物のことなど、まったく頭になかった。きっと、熊には私の冗談も通じないだろう。よく、死んだふりをしたらいいと聞くが、あれは本当なのだろうか。しかし、死にたくないのに死んだふりをするなんて、結構な勇気が必要な気がするが――
「ひいい!」
再び、茂みが揺れる音。しかし今度は右側から。先ほどよりは、音が少し近い。
きっと熊だ、熊なのだ。どうすればいい? やっぱり死んだふりだろうか。でも、死んだふりをする瞬間を熊に見られていたら、すぐに見破られてしまうのではないか? 駄目だ、私に死んだふりをする勇気はない! では、いっそ木に登ってみる? しかし木登りなんて何年ぶりだろう。それに、小学校卒業を最後に、もうかれこれ四年も木登りをしていない。木登り歴に四年のブランクがある私の動きで、熊を出し抜けるだろうか。そもそも、熊も木に登るのではなかったか。何しろ、あの有名キャラクター『くまのべーさん』だって、木に登っているぐらいだ。モノホンが木に登らないわけがないじゃないか。駄目だ、逃げ場がない。きっと私は、この後茂みから飛び出してきた熊に襲われてしまうのだ――
「やめてください食べないで美味しくないから南無阿弥陀仏ー!」
「めぇ」
「ぎゃー!」
私は声の限り叫んだ。食べられる! そう感じ、きつく目を閉じる。
……沈黙。
待てど暮らせど、熊は襲ってこない。
聳える木々の、遥か上、空の高いところで、カラスが「カア」と、ひとつ鳴く。間違っても「阿呆」などとは鳴きはしない。
おそるおそる、目を開ける。ゆっくり、ゆっくり。
「ひっ」
そこには熊の、焦茶色をした屈強な体はなかった。けれど代わりに、白くうごめくものがある。
「めぇ」
その、白いものが、鳴いた。
「羊……?」
もこもことした柔らかそうな白い毛。そこからちょこんと、四つの足が生えている。顔がない――と思ったが、どうやら背を向けているらしく、そんな私の考えを察したかのように、羊はちらとこちらを振り返ると、またひとつ、めぇ、と鳴いた。
「羊の皮を被った熊……じゃない、わよね。めぇって鳴いてるし……やっぱり、本物の羊なのかしら」
羊の体は、このじっとりと湿った場所にいながら、洗濯したてのシャツのように汚れがない。目の前のそれに、そっと手を伸ばしてみる。触れたそこは、やはり柔らかく、密度の高い毛の奥から、動物独特の、人よりやや高い体温が伝わってくる。
「うーん、これって、野良羊かしら?」
そもそも、家畜以外の羊はどこに住んでいるのだったか。いや、むしろこの日本に、羊の生息地なんてあっただろうか。それに、野良がこんなにも綺麗な毛をしているはずがない。人に飼われている家畜の羊だって、もう少し汚れている気がする。
私が考え込みながら、羊の毛をさわさわと撫でていると、
「めぇええええええええん」
「わっ! な、何っ?」
突如、羊が雄叫びをあげた。
動揺する私に、羊は顔をくいと動かして、林の奥を示してみせた。その仕草は、どこか男らしく、勇ましい。この羊と一緒ならば、熊だって恐れるに足りない……不思議とそんな気さえするのだ。
そして羊は、示した方向へ向かって歩き出す。私も、誘われるままに、羊の後を追っていく。薄暗い林の中で先程まで感じていた不安は、私の胸の中から跡形もなく消え去っていた。
羊に案内された場所に、川が流れていた。意外にも大きく、幅は二メートルほどあるだろうか。その川のそばに、彼はいた。
恵比寿円。彼は制服姿のまま、折り畳みの椅子を広げてそこに腰を下ろしている。手には竹でできた釣り竿。その先端からは、糸が下がり、それは川の中へと垂らされていた。
「琴子ちゃん、久しぶりー」
私に気付くと、彼はこちらを見て、にこにこと笑顔を見せた。そんな彼の元に、羊が寄っていき、彼の真似をするように地面に体をふせた。随分と、彼に慣れているような動きだ。
「あ、はい、おひさしぶりです。……その羊は、恵比寿さんの?」
私が尋ねると、
「そうだよー。琴子ちゃんが来るって聞いたから、ヒロシに迎えに行ってもらったんだ。迷わなかったでしょ?」
彼は言って、羊を撫でた。すると羊は嬉しそうに目を閉じる。
「ヒロシ……」
「そうだよ。かっこいいでしょ?」
ヒロシは、恵比寿の言葉に、顔を縦に振った。そして流し目で、私を見る。人間であれば、屈強な肉体をもった若干ナルシストの色男、といった感じだろうか。
「そ、それはともかく、私が来るって、知ってたんですか?」
「うん。電話があったから」
恵比寿は上着のポケットから――彼はYシャツの上に制服のジャケットを着込んでいた――折り畳み式の、ブルーの携帯電話を取り出し、それに付けられているストラップを摘んで、ゆらゆらと揺らしてみせた。生憎、私は携帯電話を持っていないが、こんな山中でも電波が届くとは驚きだ。
「電話? 誰から――」
「貴人くんだよ。琴子ちゃん、さっき会ったでしょ」
「貴人って、寿老先輩じゃないですか……」
当然といえば当然な、そのよく知った名前を聞き、私の肩に、山中を歩いて得た疲労が、急にどっしりとのしかかった。
寿老が、まさかこんなに簡単に恵比寿と連絡がとれるなんて! 寿老も、それならそうと、教えてくれたら良かったのに。けれど、彼は、私と恵比寿が会うのを嫌がっていた。にも関わらず、恵比寿に事前に連絡をしてくれたのだから、それを考えると、あまり寿老を責めることもできない。
「まあ、立ち話もなんだから、こっちに来て座りなよ」
「あ、はい。では遠慮なく……」
私は、彼のそばまで歩み寄った。
「椅子はないけど」
「立ってます」
めぇん、と、ヒロシが鳴く。ちらと視線を落とすと、僅かに顔を上げたヒロシと目が合った。そして彼は大きく頷く。まさか、座れと言っているのだろうか。確かにもこもこしていて、柔らかそうではあるが、さすがに動物の上に座るのは抵抗がある。
「え、遠慮します」
小声で言うと、ヒロシは溜息のように、細く「めへぇ……」と声を漏らした。悲しそうなその鳴き声に、何だか悪いことをしたような気にさせられるが、だからといって、やっぱり座るわけにはいかない。
ヒロシは、再び目を閉じ、地面に伏してしまった。
「ヒロシ、琴子ちゃんのことが気に入ったみたいだね」
「そ、そ、そうなんですか」
笑い混じりに言われたが、どう答えていいのか分からず、私は曖昧な返事を返した。
川のおかげで少し拓けてはいるが、それでも木々に周囲を囲まれているせいか、やはり薄暗さは拭えない。『秋の日は釣瓶落とし』――先程、校庭で考えていたことを思い出す。きっと、すぐに日が暮れ、ここはもっと暗く、不気味な場所になってしまうだろう。そういえば、心なしか、やや肌寒い。しばらく立ったまま、じっとしているせいかもしれない。
「――それで、今日はどうしたの? ぼくと遊びに来てくれた?」
釣糸を垂らした川面を、黙って眺めていた恵比寿が、不意に切り出してきた。釣竿の先は、ぴくりとも動かない。
「あ、はい、あのっ」
羊の件と、その後の彼の沈黙で、すっかり話始めるきっかけを失ってしまっていた私は、ようやく彼の後押しを受けて、口を開くことができた。
「恵比寿さんは――」
「待って。円でいいよ。あと、『さん』付けも、何かヤだ」
怪訝な顔で言われ、彼のことを『恵比寿さん』と呼んでいたことに初めて気が付く。先輩か同級生か分からなかったものだから、自然とそうしていたのだろう。
「あ、はい。すいません、えと、じゃあ、円先輩。その……新聞部の方と、話しましたか? 栗栖さんという方です」
呼び方を訂正し、尋ねる。彼はその呼び方に満足したのか、また笑顔に戻った。
直球な質問をすることは出来なかった。本当は、遠回しでなく、はっきり聞くべきだとは思っていたのだが、彼の顔を見ていると、すぐに核心に触れることが恐くなった。無言の圧力、とでもいうのか。決して、睨まれているわけでもないのに、彼が無邪気な笑顔を浮かべたまま口を噤んでいると、どうしてか居たたまれない気分になってしまうのだ。
「……ぼくが栗栖さんと話したって認めたら、琴子ちゃんは、どうするの?」
彼は軽い調子で、そう口にする。
頭上で、木の枝がしなる音がした。山の中は届かない風が、木々を揺らしているのだろうか。
カラスが鳴く。そして飛び去る、その羽音。
場の空気が、心持ち一層じっとりと、陰気さを帯びていく。
『あの計画がうまくいくはずない』
伝え聞いた彼の言葉。
「何で――」
私は、体の横で、両手のひらをきつく握った。
「何で、あんなことを言ったんですか? 私、円先輩が、何か……誤解をしているんじゃないかって思うんです。だから、今日は、その誤解を解きたくて。ちゃんと説明をさせてください。天高七福神計画のことを、先輩にもよく知ってもらいたいんです。そうしたら、きっと先輩も――」
焦る。言葉が早くなる。肌に嫌な汗が滲んでいる。
こんなことは初めてだった。恵比寿はただ、笑顔を浮かべているだけだというのに、それを見ているだけで、私は酷い焦燥感にかられていた。
「計画への理解を深めれば僕も賛同してくれるはず――って、思ってるの? 琴子ちゃん」
不意に、彼は水面から視線を逸して、横目で見上げるように私を見た。口元は微笑んでいるのに、しかしこちらに向けられた視線は鋭い。それが胸に深く刺さったような気がして、反射的に右手で胸元を押さえた。脈拍が速い。自分でも驚くほど、私は動揺していた。
初めて恵比寿と出会った時、彼はただ者ではないと感じていた。無邪気な口ぶりの奥に隠された、彼の心中など、とても私には想像できない。
私はひとつ唾を飲み込んでから、
「お……思って、います。だから、こうして今日、ここに来ました」
絞り出すように言った。
「そう」
恵比寿はそっけなく返事を寄越した。
「ここに来る前、貴人くんから何か聞いたんじゃない? 貴人くんのことだから、多分、琴子ちゃんにアドバイスをしたと思うけど」
「え……っと」
尋ねられ、寿老との会話を回想し、質問に該当するようなものを探す。最中、額に汗が浮かび、それを手の甲で乱暴に拭った。
「円先輩とは、会わないほうがいいって……。それに――」
『恵比寿くんは、きっと君を傷つける』
言いかけて、言葉を飲み込む。改めて、寿老の言葉を思い出せば、心臓がどきりとした。
彼は、恵比寿がどんな考えを持っているのか、知っていたのだろうか。私が何を恵比寿に訊き、そしてそれに対してどんな答えが返ってくるのか――彼は予想していたのだろうか。だからこそ、私にあんなことを言ったのではないか。
「そっかあ。じゃあ、琴子ちゃん、……もう分かるでしょ?」
分かりたくない。よく説明すれば、恵比寿も理解してくれるはずだと信じたかった。
「琴子ちゃんの頼みでも、ぼくは手を貸す気はないからね」
けれど私のささやかな期待も虚しく、彼はそう口にして、満面の笑みを私に向けた。
そこでようやく、私が彼に感じていた不安の原因を理解した。
彼には、迷いがないのだ。大黒も、迷いを持たない男だった。しかし私と大黒の目指す農業の将来像が(具体的に言葉で表現しないにしろ、互いに感覚的に理解し)たまたま重なっていたからこそ、彼は私の説明に頷いてくれたにすぎない。
きっと、恵比寿が栗栖に告げた言葉は、彼の心の底からの本音だったのだ。彼は本気で、天高七福神計画は成功しないと思っているのだろう――。