カミさまのいうとおり!第3話

 

 放課を告げるチャイムが鳴ると同時に、私はかや子に明日までのしばしの別れを告げ、鞄を掴んで小走りで教室を出た。玄関で靴を履き替え、向かう先は校舎裏手にある農園だ。

 この学校では二年生になると、各人ひと畦ずつの畑もしくはビニールハウスの一定スペースを――大体ハウス内を十等分したほどの広さらしい――与えられる。そこを使い、作物を育てることが義務づけられているのだ。進級や卒業の際には、その成果を提出しなければならない。自主性を育て、かつ農業の実務経験も積むことが出来る実に素晴らしいシステムである。これとは別に農業実務の授業もあるのだから、この学校の農業に対する熱意は並大抵のものではない。

 農園は校舎裏から少し下った場所にある。校舎より低い位置にあるが、広々としたその敷地の日当たりは抜群だ。作物の芽があちこちで伸びている広い農地を、私はぐるりと見渡した。ある人物を探すために。

 タマ子は、予想以上に美味しかった。調味料を使っていないようなのに、それでいて深みのある甘さはまさに絶品というほかない。しかし福禄がタマ子を出し惜しみしなければ白飯のみの昼食が回避出来たことを思うと、それだけが残念でならない。タマ子をおかずにすれば、さぞや箸が進んだことだろう。けれどタマ子はもういない。ああ、さらばタマ子よ。あなたのことはしばらく忘れない。

 福禄の情報によるとそんなタマ子を作り出した人物が、放課後この農園に現れるらしい。あんなに美味しい蒸し焼きタマネギを作れるとはただ者ではない。是非ともお目にかかりたいと、私はこの場所を訪れた。

 ――しかし、だ。

 農園の隅々に目を走らせながら、ふと思う。私はこんなことをしていていいのだろうか。そもそも福禄は、計画に向かって動き出そうとしていたのではなかったのか。それ故、私の元を訪れたのでは? けれど結局彼と私が昼休みの間にしたことといえば、タマネギを味わったことぐらいだ。あの福禄のことだから、彼の行動には必ず意図があるはずだ……と思いたい。けれど計画とタマネギ、本当に関係があるのだろうか。

「あれ……弁財さん?」

 ふと背後から呼びかけられる。優しげな男の声だ。

 何故、私の名を知っている。まさか私が放課後この場所を訪れることが事前にリークされていたとでもいうのか。そうすると例の計画を阻止しようとする国際的闇組織から差し向けられたスパイに違いない。何ということだ。若干十六歳にして命を狙われる存在になってしまうなんて。

 ――落ち着け。ここは農場だ。見通しも良く、放課後ともあれば生徒が訪れる可能性もある。この人物とて迂闊なことは出来まい。ならば……こちらから仕掛けるまでッ!

「スパイダーマッ!」

 私は正義のヒーローの名を叫びながら、振り返りざまにスパイにタックルをかました。世界的に有名なヒーローであるから、もしスパイが外人であってもこれで大丈夫だ。

「あぶう」

 スパイは情けない声と共に土の上に倒れた。生徒がよく手入れをしている農場の土は柔かい。大きなダメージにはならないであろう。反撃に備え、私は身構えた。

「う……ご、ごめんね。驚かせちゃったかな」

 男は作業着を身に纏っていた。学校指定のものだ。ははは、と笑いながら彼は上半身を起こした。

「ああっ! こ、幸宗先輩!」

 あろうことか、土の上に転がっていたのは布袋幸宗その人であった。彼もまた、これから天高七福神計画の一員になる予定だ。彼がここで倒れていたということは、つまり。

「まさか……スパイです?」

「へ?」

 間の抜けた声と共に布袋は首を傾げた。よろよろと立ち上がり、体についた土を払いながらにこやかに笑う。柔和な表情からは、彼の性格が滲みでているかのようだ。

「スパイスみたいな味、した?」

「は?」

 今度は私の口から思わず声が漏れる。どうも、彼は何か勘違いをしているらしい。いや、勘違いをしていたのはもともと私の方だ。彼はスパイではない。スパイであるはずがない。むしろそんなもの、最初からどこにもいなかった。スパイとは私の妄想上の存在に過ぎなかったのだ。

「あれ、タマネギ……貰わなかった? 仁から」

「ジン?」

 聞き慣れぬ名に、今度は黒の組織の手の者か――と思いかけたところで、それがよく知った人物のことだと気付く。福禄だ、福禄仁。つい数時間前に顔を合わせたばかりの、あの男。

「ああ、福禄先輩の……って、タマネギのことを何故知っているんです?」

 私は思わず、布袋に尋ねた。

 タマネギタマ子。今ならまだ、その美味しさを思い出せる。蕩けるような舌触り。深い甘味。ああ、タマ子……もう一度あなたに会いたい!

「あのタマネギ、僕が作ったんだ」

「つ、作った! 先輩が?! く、クックオアグロウ!?

「えーっと……うーん、両方、だね」

「ひいいい! りょ、両方!!

 彼の言葉を聞き、私はその場に平伏した。まさか彼こそが私が探していた伝説のタマネギマイスターだったなんて。そうとは知らずスパイと勘違いした挙句はたらいた狼藉の数々。申し訳なさにひたすら頭が下がる。これを機に私のこの勘違い癖を直さねばなるまい。明日から気を付けることにしよう。私はそう心に誓う。

 山の向こうで、空が低く唸っている。雨が近い。畑に植えられた作物は、みな一様に「もうウンザリだ」とばかりに項垂れていた。

 

 農園の端にある農機具倉庫の横手では、じぶじぶと景気の悪い音をたてながら草木が燃やされていた。しかしそれを焚き火と呼ぶことは憚られる。何せ火が見えないのだ。そのくせ煙だけはやたらと吐き出している。燻す、といった表現の方が近いかもしれない。けれど最後に草木は灰になってしまうのだから、やはりこれは燃えているのだろう。

 倉庫から持ち出したプラスチック製の出荷箱を逆さにして、私と布袋はその上に腰かけている。彼は『灰当番』なのだ。今週はこうしてここで火の番をしているのだという。

 校内の雑草や枯れ枝は全てここに集められ、燃やして灰にする。出来上がった灰を畑に漉き込み、土の調子を整えるのだ。そうしてその畑で作物を育て、収穫が終わればそれを抜き、また燃やして灰にする。化学肥料を使わず、廃棄物を極力出さない、循環型農業の典型だ。

 その火の管理をより厳重に、との学校側の考えにより導入されているのが『灰当番』である。これは学年関係なく全ての生徒に週代りで回ってくる。放課後の数時間を縛られるというのに生徒から不満の声が聞こえてこないのは、生徒だけではなく校長や教頭、そして事務員や用務員までも含む全ての教職員にもその役回りが科せられることになっているからだろう。

 山積された草木を前にして、紙コップに注がれたポタージュをすする。布袋が作ったというタマネギのポタージュだ。コンソメスープの中で長時間煮詰められたタマネギと、仕上げに加えられた牛乳のバランスが素晴らしい。深いコクの中に滲み出すタマネギの甘味の底から、スープの旨味が泉の如く湧き出してくる。これもまたタマ子と並び、絶品といえる。一口、また一口と飲みすすめるうちに、コップの中のそれはあっという間に無くなってしまった。

「美味しい!」

 私が告げると、布袋は「良かった」と少しはにかみながら胸をなでおろした。

「料理に使ったのは、全部ここの畑で育てたタマネギなんだよ。もともと甘味が強い固定品種なんだけど、土壌の改良と料理方法でそれぞれどれだけ甘さを増すことができるのかを実験してるんだ」

 布袋は私の手から紙コップを受け取り、もう一方の手で自身の紙コップから一口その中身をすする。ずず、という音と共に、わずかに湯気が立ちのぼった。

「幸宗先輩は、かなりのやり手だったんですね」

 私がそうしみじみ漏らすと布袋が苦笑した。

 昼間の蒸し焼きタマネギに、このタマネギポタージュ。これほどまでに素材の味を活かした料理を作ることが出来るなんて、とても昨日今日で身につけた技術とは思えない。調理技術も勿論だが、タマネギの栽培に関してもそれがいえる。これらは全て常日頃からの努力の賜であり、さらには彼のタマネギへの情熱が並々ならぬものであることは明らかだ。そんな彼が計画に手を貸してくれるのであれば、これほど心強いことはない。

 計画実行には、次世代の農業を担う農家の若者からの協力が不可欠だ。家業が農業ではない私と福禄のような、所謂外野だけでいくら盛り上がっても、それだけでは絶対に成し得ない。農家自身が現状を打開したいと強く思い、行動に移さなくてはならないのだ。既に守りに入ってしまった世代に、恐らくそこまでの行動力はない。だからこそ、いまだ何のしがらみにも囚われていない私たちのような若い世代が、攻めの姿勢でムーブメントを起こさなくてはならないのだ。

 そして今こそ、その第一歩を踏み出す好機ッ!

「あの、幸宗先ぱ」

「僕の実家、タマネギ農家なんだ」

 撃沈。私の言葉は彼の突然のカミングアウトによって飲み込まれてしまった。離陸寸前に左翼をバズーカで打ち抜かれた飛行機のような失墜感が私の心を支配する。

「はあ、なるほど」

 心の滑走路を徐行運転しながら気の抜けた相槌を打つ。

 そんな私の様子にも気付かずに、布袋は紙コップの中身を一気に飲み干した。作業着姿なのも相まって、その飲みっぷりは一見、仕事に疲れた土木作業員のようだ。だがしかし、紙コップの中身はやはりただのポタージュなのである。

「だから僕も小さい頃からずっとタマネギ栽培の手伝いをしてたんだ。日々成長していくタマネギを眺めるのが本当に楽しくてね。……あ、弁財さん、タマネギの花って見たことある?」

 うっとりと宙を眺めていたかと思うと、今度は私にきらきらと輝く視線を向けて嬉々として尋ねてきた。

「ええと、写真でなら……確か、白いボールのような」

「うん、ネギボウズだね。あれ、1センチ位の白い花が集まってるんだ。小さいのに頑張って花弁を広げて、集まって、大輪の花に姿を変えて。本当に意地らしくて、可憐な花だよ。……でもタマネギ農家としては、花が咲いたらおしまい。タマネギに蓄えられてた栄養が花に取られて萎んじゃうから。花が咲かなければ種も出来ないけど、今はどこの農家も苗や種を買ってそこから育ててるから、やっぱりそういう面でも花は見向きもされない。ちょっと、寂しいよね。だから僕は考えたんだ。育てたタマネギの一部を収穫せずに、花を咲かせて種を作ればいいんじゃないかって。この種で次のタマネギを育てて、また花を咲かせて。その繰り返し。タマネギも収穫できるし、綺麗な花も見られて、一石二鳥だよね」

 つまりこれは、自家採種のことだ。彼はタマネギを例に挙げたが、他の作物でも同様のことがいえる。

 今やこの国で農業を営んでいるのは、たったの五百数十万人。ほとんどの人間が、作物を育むという工程に触れることのないまま生きているのだ。農業従事者以外にとっては、何の努力もせずとも食糧が豊富にあることがごく当然のことになりつつある今、人々には「他の命を頂いて生きている」のだという意識が薄れてしまっている。

 本当は植物が種から芽吹き、葉を広げ、花を咲かせ、実をつけ、種を落す。その営みを、邪魔し、好き勝手に利用しながら生きているというのに。

 布袋の言葉を受け、自身の中で考えを巡らせるうちに、低速で運転していた私の思考がぴたりと止まる。

 ――なんだか……農業って最悪じゃない。だって人が自然を操りすぎてるもの。

 先の話に加え、作物を育てる過程で農薬を大地にばら撒いては土を汚し、作物や家畜を自分たちの都合が良いように改良している。

 農業は人の命を支える重要な仕事である。しかしそうだと理解していても、自然にとっては人間自体が有害な存在に思えてしまう。

 ――分かってる。そんなことを言い始めれば、きりなんてないってこと。でも……。

 思わず大きな溜息がこぼれる。

 

 

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