その柳の下に[一章]

一、柳緑花紅

 

 私の故郷は、古くから薬効の強い温泉が湧く湯治場だ。十以上ある宿には、どこも一年を通して湯治客が逗留しており、二ヶ所ある外湯は、常にひとで賑わっていた。

 かくいう、私が生まれた宇都美の家も、代々続く湯治宿だった。開業以来家族だけで営んできた、六畳間五部屋ほどの小さな宿である。私がまだ生家で暮らしていた頃には、両親を中心に、祖母、兄、姉が宿を切り盛りしており、さらに私の二人の弟までもがその手伝いをしていた。

 幼い彼らにできることといっても限られていただろう。しかしそれでも、家業のために僅かでも手助けをしたいという真摯な姿勢によって、宇都美家の人間として求められる唯一にして絶対の条件を、弟たちは満たしていたのだ。

 私はといえば、その条件を満たすことが適わず、結果、家族から爪弾きにされる存在だった。

 私は生来、酷くひ弱な体質であった。産まれた時、半分は死にかけていたのだという。顔色は青白く、産声もなかなかあげなかったそうだ。

 産後、まだ床に伏せる母の横に寝かされていた私に向かって「そんな子はすぐに殺してしまえ」と父は喚いたらしい。

 父を止めたのは母だった。「成長すれば、きっと丈夫な子になるわ」と。

 母は私を、生まれた翌日から毎日温泉に入れ、乳離れをしてからは、冷ました薬湯を熱心に飲ませた。しかしそんな努力も虚しく、私の顔色は一向に青白いまま変わらなかった。

 大病こそしなかったものの、身体の肉づきは極めて悪く、同じ歳の子供より随分と細身だった。そのせいか、次第に足を悪くし、十になる頃には右足を引きずらねば歩けぬようになっていた。

 父は「そら見たことか」と憤慨し、母もそこでついに匙を投げた。家にとって何の役にも立たないことが明らかとなった私は、埃にまみれた納屋に押し込められたのだった。

 納屋で暮らすことを強いられはしたが、それでも食事だけは与えられていた。しかし、代わるがわる食事を運んでくる父や兄に「穀潰しが」と罵られ、時に殴られた。母や姉は、納屋に出入りする際は一言も口を聞かず、決して私と目を合わせようとしなかった。家族の態度は、幼い私にとっては悲しく、また苦痛でもあったが、私が無駄飯食らいであることは事実であったので、抵抗などできるはずもなかった。

 私が生きていても、家族に迷惑ばかりかけてしまう。こんなことならば、父の望む通りにいっそ死んでしまえれば。

 そう思い悩むようになった私を唯一支えてくれたのは、祖母だった。家族の中で祖母だけが、納屋に押し込められた私を気遣ってくれていたのだ。

 祖母は東京の生まれで、女学校に通っていたこともあるため、田舎者にはない感性と学があるひとであった。

 納屋にひとりきりでは寂しかろうと、夜になるとこっそりと私のもとを訪れ、昔話をしてくれたり、読み書きを教えてくれたりした。家族に罵られる日々の中で、祖母と過ごす時間だけが、私の楽しみとなっていたのである。

「順二郎は、どうしてか、お前の父さま母さまよりも、私に似ているねえ。自分の子供みたいで、放っておけないよ」

 祖母は、時折そう口にした。両親に蔑ろにされた私にとっては、祖母のその言葉は嬉しいものだった。大人になったら、祖母のように優しく聡明なひとになりたいと、よく思ったものだ。

 だが、穏やかな時間は長く続かなかった。祖母が納屋に出入りしていることに、父が勘付いたのである。

 ある日、深夜になって祖母は納屋を訪れた。頬が赤く腫れており、父から酷い暴力を受けたことを私は一目で理解した。

 一言も口にせず、ただ涙を流すだけの祖母の姿に、私も泣いた。もう二度と祖母とは会えないのだろうと幼心ながらに察したのだ。私は涙を流しながらも、嗚咽がこぼれぬよう右手の人差し指を噛んで声を殺した。家の者に気付かれないようにするためだ。歯を立てた指よりも、胸がはり裂けるかの如き苛烈な痛みに、私は苦悶した。

 祖母は、私に風呂敷包みを差し出すと、声を発することも振り返ることもないまま、納屋から去っていった。祖母の足音が聞こえなくなっても、涙は止まらなかった。

 外が明るくなり始めた頃になって、腫れぼったい目を擦りながら、私は残された風呂敷包みを開いた。

 中から現れたのは、十冊の本だ。どの本も、色は違えどもみな布張りの上等な表紙で、背には同じ著者名が記されていた。

『柳 肇』

 祖母という支えを失ってからは、この『柳』という人物によって書かれた十冊の本だけが、私の心の新たなる支えとなったのだった。

 

 あのひとと初めて出逢ったのは、祖母との別れから二年ほど後。大正十二年の年の瀬のことだ。

 十二歳になった私は、相変わらず納屋でほそぼそと生き永らえていた。

 この年の九月に起こった大地震は、東京から離れたこの山間の街には直接的な影響を殆どもたらさなかったが、しかし地震やそれによる大火で家を失った人々が流れてくることも、しばしばあったらしい。(食事を運んでくる際に兄がそのようなことを漏らしていた)

 身体に負った傷を癒すため、新天地を求めるため――。

 各々に抱えた理由は違えども、新たに街を訪れた人々と、元々滞在していた湯治客とが合わさり、往来にはこれまでとは違った、悲愴さと同情が入り混じる、一種異様な雰囲気が漂っていたという。

 私は当時、もう二年以上も外の世界に接していなかった。そんな中でできることといえば、兄姉がぽろりと口にする断片的な話を、まるで着物でも拵えるようにちくりちくりと縫い合わせ、そうして完成したつぎはぎだらけの情景を、頭で想像することだけだった。

 既に色を失っていた記憶の中の、湯治宿が建ち並ぶ街並み。外湯の岩の湯船に蕩々と流れ込むとろりとした薬湯。それを求め殺到する傷ついた人々、その身体、追い迫る火に炙られた肌――。

 それらの光景を頭の中で描いていると、ふと『人は肌を焼かれるとどうなるのであろうか』という疑問が浮かんだ。火傷というものを、私はその時まだ知らなかったのである。

 何せ生まれつき軟弱な質であった私だ。家族の、これ以上健康を損なわれてはかなわんとの考えからか、温泉以外の水場、火のまわり、高所からは、私は執拗なほどに遠ざけられていた。そのため、幼子につきもののあらゆる怪我を、私はひとつとして経験したことがなかった。

 加えて、知識も浅かった。当時の私が知っていたことといえば、納屋に入るまでの短い期間で身につけた最低限の生活習慣と、祖母から教わった読み書き、そして十冊の文学作品に描かれている事柄だけ。そしてそのどこにも『火に炙られたひとの身体はどうなってしまうのか』という疑問に対する答えは存在しておらず、また、新たにそれを得る手段も、私は擁していなかったのだ。

 

 さて、年の瀬の宿というものは酷く忙しいものである。家業に携わったことのない納屋暮らしの私にさえ、そのことは自然と理解できていた。

 まず、食事の時間がまちまちになる。昼の鐘が鳴ってすぐに納屋へと運び込まれていたものが、夕暮れ近くになったり、時には来なかったりする。

 次に、外がにわかに騒々しくなる。私が隔離されていた納屋は、母屋と宿を兼ねた建物の裏にあり、普段であれば、表の通りの音はあまり届かない。しかし毎年この時期だけは、荷馬車が行き交う音や、忙しない調子の大きな声が、納屋の中にまでも頻繁に聞こえてくるのだ。

 納屋の戸は、当時は珍しくもない板戸であり、施錠もされていない。納屋から出て、往来の様子をこの目で確かめることは、容易であったはずだ。だが、それを試みたことなど一度もない。父から「ここから出てはいけない」ときつく言いつけられていたからだ。祖母の件もあり、父に逆らうことなど、到底考えられることではなかった。

 だから、騒がしくも賑やかな外の様子が気になっても、丸一日食事を与えられずとも、私はただひとり、納屋の隅、じっとりと湿って黴臭い布団の上で、膝を抱えて蹲っているばかりであった。

 納屋には、換気のための木格子がはめられた窓がある。冬になると、そこから吹き込む北風によって、日中でも綿入れと布団を被って過ごさなければならないほど、室内は冷え込んだ。

 しかし十二月二十九日の昼の鐘の頃には(この日付はあとになってから教えられた)格子の隙間から暖かな陽射しが射し込んでいて、納屋の中にささやかな温もりを与えてくれていた。その些細なことが嬉しく、いつもであれば近付きもしない格子窓から、私はつい外を覗いた。

 ――今になってみれば、この時の行為こそが、あのひとを苦悩に満ちた人生に突き落とすきっかけとなったのではないかと思う。当時を思い出す度に、自責の念に苛まれるが、しかし同時に、寒さの厳しい冬に射した陽光の如き温もりが胸中に甦り、その切なさが、私の心をきつく締めつけるのであった――

「きみは、どうしてこんな暗い納屋の中にいるんだい」

 不意に声がした。穏やかなその声色は、明らかに家族のものではない。そもそも、食事を運びに来た家族であれば、私に対する言葉はすべて刺々しいものであるはずだし、ましてや私が納屋にいる理由など、他でもない当人らが一番よく知っている。

 家族以外の者が納屋の近くにいることに酷く驚き、私は大慌てで格子窓から離れ、布団の中へと潜り込んだ。

 家族が、私のことを、外部にどう話しているかは知らなかった。まさか納屋に軟禁しているなどと吹聴するはずもないだろうが、それでも私は、自分がこうして納屋で暮らしていることを、他人に気付かれてはならないと思ったのだ。

 布団に潜り込んだだけで、存在を隠し通せるわけもない。しかし幼い私は、布団の下で身を震わせながら、男が去っていくのを信じて待った。

「どうして隠れるんだい」

 私の期待をよそに、施錠のなされていない戸が、がらりと呆気無く開く。男の声が、狭い室内に響いた。私の心臓は既に早鐘を打っていて、その呼びかけに、たまらず身体が大きく跳ねた。

 納屋の半分ほどは土間で、そこには瓶などの不用品が乱雑に放置され、埃を被っている。残り半分ほどは、地面より一段高くなった板間で、壁際には箪笥や古い葛篭が並んでいる。――この狭い板間の隅に布団を敷いて、私は寝起きをしていた――だから、こんもり膨らんだ布団の下に私が潜んでいることなど、傍からは一目瞭然であっただろう。幼いが故の、まるで戯れのような身の隠し方は、きっと男の目には滑稽に映ったに違いない。

「出ておいで。恐いことなど、何もありはしないから」

 男は、私の行動に呆れることも、鼻で笑うこともなかった。

 からん、からんと土を踏む下駄の音が近付いてくる。声色こそ穏やかだが、その裏で何を企んでいるかは知れない。不審な人物の接近に、私は身を固くした。

 突如、身体が宙に浮く。布団ごと、腰のあたりを、ぐっと引っ張りあげられる感覚があった。

 何事が起こったのか、すぐに理解できるはずもない。気付けば私は、男に後ろから抱きすくめられていた。

 急に世界がぐるりと回ったせいで、視線は定まらず、頭がぐらぐらと揺れた。

「やあ、こんにちは。やっときみの顔を見ることができたよ」

 私の頭上から、男が覗き込んできた。逆さまのその顔が、微笑を浮かべている。父と同じくらいの年の頃だろうか。目は細められており、小さな鼻の下には髭を生やしている。格子窓から僅かに射し込む光でも判るほど青白い顔色に、痩せた頬。さらに、頭に白いものの混じるその男は、納屋の外の世界を殆ど知らぬ私から見ても、どこか病的に感じられた。しかしそこに浮かべられる表情は、病んでいるとは思えぬほど柔らかく、また私の腹部に回された彼の手は、着物越しにも拘わらずその温もりをつぶさに伝えてくる。

 それらが生み出す不均衡の具合は、私の胸中に不安と安堵を複雑に渦巻かせた。言葉では言い表せぬ、何とも奇妙な気持ちであった。

「はなして、はなして」

 混乱していた。喚きながら身を捩るものの、心のどこかで、この腕の中から抜け出したくないと思っていた。彼の温もりは、どこか祖母に似ていたのだ。私を唯一大切にしてくれた肉親に。

 祖母とは、別れの夜以来顔を合わせていなかった。祖母だけは、納屋に食事を運んでくることはなかったのだ。恐らく、父親によって私との断絶を厳しく言いつけられていたのだろう。

 初対面の男に与えられた懐かしい温度は、顔を腫らした祖母の姿を思い起こさせ、私の胸の奥から、じくじくと痛みを伴う切なさを引き出した。

「ああ、きみに突然こんなことをして、私はなんて愚かなのだろう。泣かないでおくれ。苦しかったのかい。すまないね、すまないね……」

 泣きそうに顔を歪める私から、男は手を引き、私の正面へと回り込んだ。初めて、彼の全貌をまともに捉える。綿入れを着込んでいて、紺絣の浴衣の乱れた裾の間からは、温かそうなメリヤスの股引が覗いていた。

 男は困った顔をして、私の頭をそっと撫でた。大きな手だった。祖母のものとは違う。当然だ。彼は祖母ではないのだから。そう思うと、私の胸に悲しみが舞い降りてきた。

 何故私はまだこうして生きているのだろう。祖母と遠ざけられてなお生きる必要が、どこにあるというのか。家業の役に立たず、両親にすら蔑まれ、情けで食事だけを与えられ続ける。それほどの扱いを受けながら、祖母が授けてくれた十冊の本を読むことのみを支えに生きている――しかし既にそれすら、私に苦悩を与えるようになっていた――この日々に、一体どれほどの価値があろうか。

「死にたい」

「えっ、……何だって?」

「もう、死んでしまいたい」

 私の口からこぼれた言葉に、男は目を見開いた。その唇が薄く開き、何事か言いかけたが、それを制するように、私はもう一度「死にたいのです」と繰り返した。

「だけど、死に方が、ぼくには判りません。ばあさまも教えてくれなかったし、この本の中にも――」

 布団の傍に重ねていた十冊の本を引き寄せ、彼の前へと差し出す。

「――書かれていないから、判りません」

「これは……」

 私は、伝え聞いた火傷というものが理解できなかったように、自死の方法を知らなかった。それでも自死という概念が私の中にあったのは、幼い頃より父に「死ねばよかった」と繰り返し罵声を浴びせられたためだろう。自死に対する、解決の手段を持たない中途半端なその懊悩は、本を読んでいる最中に未知の言葉に遭遇した時の煩悶と相似だ。

 私の頬を伝った涙が、湿った布団を惨めに濡らした。

「もし私が、きみに死に方を教えたら、きみは死んでしまうのかい」

 男は、手のひらで私の頬を撫でた。硬い指先が、涙を拭っていく。真っ直ぐな目で、彼は私を見ていた。

「死にます」

 私は彼から目を逸さずに、はっきりとそう答えた。

 そう、私はずっと死にたかったのだ。どうやれば、自分で死ぬことができるのか。それさえ判れば、きっととっくに、私はこの納屋でひとり、死んでいたことだろう。

「そうかい。ならば」

 男の手が、私の両手を包んだ。

「私はきみに、死に方ではなく、生き方を教えるとしよう」

 男の指先に込められた力強さ、そして彼の言葉が、私の身体を震わせた。

「どうして」

 彼は家族でもなく、今しがた出会ったばかりの他人だ。事情も知らないのに、何故この男がそんなことを口にするのか、私は不思議でならなかった。

「理由を訊かれると……少し、困るね。その答えは、世界中にあるどんな本を読んでも、載っていないだろうから。どうあれ、私がきみを、みすみす死なせたくはないと思っている。これだけは誓って確かなことだよ。これから、きみが生き方を学び、或いは生きる理由を手に入れさえすれば、死にたいと感じることも、きっとなくなるだろう。だから、死にたいなどと言わず……生きなさい」

 ――ああ、私は、今でも酷く後悔している。この時、彼の手を、私が振りほどいていればすべてが変わっていたかもしれないと。私は納屋で、死ぬべきだった。彼は、私と一切の関係も持たぬまま生きていくべきだった。死に方など判らずとも、納屋に隔離されたままでは、もともとあまり強くない身体なのだから、寒さで胸でも患ってしまえば、そう長くもたなかっただろう。だのに、そのような将来の予見もできぬ、愚かなほどに幼く無知であった私は、納屋での孤独な死よりも、初対面の男が差し伸べる温かな手を選んでしまったのである――

 唯一私を受け入れてくれた祖母と引き離されて二年。生まれて初めて面と向かって生きることを促してくれた、赤の他人の男の胸に顔を埋め、私は声を殺して泣いた。父に気取られぬよう、また綿入れの袖をきつく噛みしめて。

 冬の風が、戸板を揺らす。格子窓から差し込む陽射しは、男の大きな手とともに、私の背を優しく撫でていた。

 

 

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