最期の色は
無様に横たわる僕の心を救ったのは、穏やかな春の陽射しだった。
まだ幼かった頃に走り回った田園風景。思春期の甘酸っぱい秘め事を心に宿したまま過ごした校舎。期待に胸を膨らませて降り立ったターミナル駅。そういった、幸福な時間と何ら変わりない温もりを、太陽は今僕に与えてくれていた。
閉じたまぶたの裏にまで、それははっきりと伝えられる。
同時に、もうすぐ夜が訪れようとしていることも。
肌を包むぬくもりが、徐々に、しかし確実に遠ざかっていく。それは空が燃え尽きる気配だ。
ビルとビルの向こう、どことも知れぬ場所へ落ちていく太陽は、誰にも気に留められぬままその日一日の役目を終える。
何だか今の僕と似ているかもしれない。
ふとそういった考えが過った。
しかしすぐ、乾ききった喉で苦笑する。
コンクリートの上に転がって、指一本だって動かすことのできない僕が、輝く明日が約束された存在と似ているだなんて、とんだ傲慢だ。
砂埃にまみれながら、ここでこのまま終わりのない闇夜に食われる僕に未来なんてものはないのだから。
『未来』
いつだっただろう。その言葉の持つ意味が、希望に満ちた将来のことから、単純に翌日以降を示すための記号へと変わったのは。
すくなくとも、故郷で、芽吹きの季節に満ちる生命の匂いを肺一杯に吸い込んでいた頃の僕はまだ、夢だとか希望だとかいう、不確かなものを信じていた。そしてそれを共に語り合う相手すら存在した。
だが、今はどうだ。
都会での生活に疲弊し、自暴自棄になったあげく、数えきれぬ悪事に手を染め、下手をうち、結局こうしてボロ雑巾のように地面に転がっている。
輝かしい将来どころか、もはや明日という最低限の未来さえ、僕にはない。
あるのは死、そして無。たったそれっきりだ。
希望に満ちた若者だった頃、死は恐ろしく忌まわしいものであった。しかしそれをいざ目の前にしてみると、存外に悪くないもののように思える。
何故なら、ぼうっとした頭の中で、最近の僕の記憶からはすっかり抜け落ちていたはずの、人生で最も幸福であっただろう瞬間の映像が延々と繰り返し映されているからだ。これは決して僕の意図したことではなかった。
所謂『走馬灯のように……』といわれる現象かもしれない。
汗ばみ上気した肌、耳にかかる甘い吐息――初めて他人の熱を得た記憶。
夢を語り合った相手と、その場の雰囲気と青臭い好奇心に駆り立てられ、何となく至った行為だった。その後、気の利いたせりふのひとつも吐けなかったせいで、僕らの関係はうやむやになったまま、まともに顔すら合わせないまま別れ別れになった。
もう一度会いたいとは思わない。こんな僕に、その資格はないだろう。
ただ、許されるのならば一言、
「きみが好きだった」
それだけを伝えられたら。
太陽が沈んでいくのを、まぶたの裏で感じとる。見えない空は、夕暮れから夜に至るグラデーションで彩られているだろう。
陽射しによって与えられた温もりは、とうに失われている。ずっと体に感じていたコンクリートの固さも、もうすっかりわからなくなってしまった。
頭の中で、バラバラと崩れ落ちるものがあるようだったが、もはやそれが何だったのか、思い出せない。
ふと、頬を温かく濡らすものがあったが、それが一体何だったのか、僕が知ることはなかった。
(了)