迷い犬を手懐ける方法

 腹に籠もった熱が不快だ。

「ぅ……ぁ」

 艶を帯びた呻きが、仰生の唇から漏れる。

 四肢の拘束はそのままに、身に着けていた衣服を、ハサミで切り剝がされてしまっていた。

 全裸でベッドに横たわる仰生の下肢、硬さを帯びて震えるペニスは、先端を濡らしている。さらにその奥、本来排泄器官であるはずのそこに、品のないピンク色をしたシリコン製の棒が埋まっている。性器を模したそれは、いわゆるディルドと呼ばれるものだ。

「っ、あ、くそ……っ、ふ、ン……」

 僅かに身じろぎするだけで、ディルドが直腸内で少しずつ角度を変え、その度に異物感を再確認させられる。それだけで済むなら、まだいくらかましだっただろう。奇妙なほどに敏感になった仰生の神経系統は、捉えた感覚をすべて性感へと変えてしまうから、性質が悪い。

「お、いッ、いるんだ、ろっ! っあ、あ、……たのむ、からぁ……」

 部屋の中に、男はいない。

 仰生の衣服を剥ぎ、後孔を指で散々に弄り、解れたそこにディルドを挿入したあと「来客があるんだ」と隣室に消えてしまった。

 隣の部屋からは一切音が聞えてこない。逆もまたしかりだろう。甘い疼きに蝕まれた弱弱しい声で呼んだところで、壁の向こうまで届くはずもない。

 そもそも、何も感じたくないのであれば、身じろがなければいいだけだ。じっと動かず、男が返ってくるのを待てば、何の問題もない。

 だが、そういうわけにはいかない理由が、仰生にはあった。

 男が部屋を出てから、もうずいぶん時間が経っている。この部屋に連れて来られてから考えれば、さらに相当な時間が過ぎているだろう。

 男に路上で声をかけられる数十分前、仰生は繁華街のファストフードで食事をとった。店は丁度混雑していて満席。トイレにすら数人が並んで待っているような状態だった。

 ――強い尿意を、仰生はもよおしているのだ。

 内圧で下腹がチクチクと痛む。身じろぎで誤魔化せば、ディルドが腸壁越しに膀胱を圧迫してしまう。男はいない。手足も動かせない。もはや八方塞がりだ。

ぞう、と血の気が引いていくのを、仰生は感じた。

 何も身にまとっていないせいか、ぶるりと身体が大きく震えた。

 瞬間、生じた僅かな緩み。

 限界まで膨れ上がった器官は、その隙を見逃さない。

「っ、あああ、ぅあ、ああ……――」

 情けない声が、仰生の口から零れた。

ゆるく勃ちあがったペニスの先端から、しょわ、と勢いよく尿が吐き出される。仰生の視界の外で、それは大きく弧を描いて飛び、びちゃびちゃと激しい音をたててシーツを濡らしている。

 排泄物が尿道を足早に駆け抜けていく感覚が、背筋を甘く痺れさせた。

 もはや自分の意思では止められない排尿の勢いに、仰生の目からぼろぼろと大粒の涙が零れる。

「な……で、こんな……ちくしょ……ッ」

 悔しさと羞恥、そしてそれ以上に、排泄の中にすら性感を見出してしまったことが恐ろしくて、仰生はきつく唇を噛んだ。

「……ああ、おもらししちゃったんだね」

 仰生の粗相を見ていたかのように、タイミングよく男が隣室から戻ってきた。

 ベッドのそばに立ち、濡れたベッドを見下ろしながら、男は顎を撫でる。

 どの口が。

 苛立ちが、仰生を衝動的にさせた。

「っざけんな、アンタが、こんな――ッぁああン」

 拘束された身体を大きく捩った。男への罵声は、淫らな嬌声へと変わる。

 視界が明滅した。ディルドによる軽度の摩擦とは、比にならないほどの刺激だった。

「可愛い声。気持ちよかった?」

 男が仰生の股間に手を伸ばしているのが見えた。その手によって、ディルドが直腸の奥へと埋められたのだ。

 内壁が物欲しげに収縮するのを、仰生は感じた。ディルドを異物としてではなく、望まれた来訪者として、身体が招き入れようとしている。

「んな、わけあるかよッ」

「腰が動いてるね」

 精一杯の虚勢は、的確な言葉によって、すぐに突き崩されてしまう。

「……ちが、これは」

「違わないだろう? 散々中を指で解されて、ディルドを挿入され、確定的な刺激もないまま、放置されて――証拠に、ほら、きみのペニスはこんなに素直だ」

 男の冷たい指が無防備なペニスに触れてくる。その相対的な感触で、仰生は自身のペニスが、限界まで硬く滾っていることに気づかせられた。

「んァッ」

 突然ディルドを抜かれる。開ききった後孔から入り込んだ空気が、内壁の粘膜をくすぐった。長時間突き入れられていたものを急に失い、肉襞が切なく蠢いている。

 男が、ベッドに腰を下ろし、覗き込むように仰生を見つめた。

「もっと強い快楽を欲してるんだ。きみの身体は。きみの意思を超えて、ぼっかりとあいた空白を埋めてほしがってる」

 垂れた目を細め、ゆっくりとした口調で男は語りかける。

「違う……違う……。俺は、そんなもの――」

 すべてを見透かされているようで、酷く居心地が悪い。

 認めたくなくて、仰生は必死に頭を振った。

「仰生くん」

 再び、耳元で低い囁き。この感覚を、既に仰生の身体は知っている。

 ぞわぞわと、耳道を声が這う。

「私はね、きみさえよければ、ここにずっといてほしいと思っているんだ」

 甘い言葉が、鼓膜にずぶずぶと突き入れられる。

「施設に戻るより、ずっと良い生活を与えてあげられる。食事も、学校も、働きたいなら働き口だってね」

 男の語りに蕩けた脳が、一方的な凌辱を受け入れようとしていた。一方が与え、一方が受け入れる。そうなればこれはもはや凌辱ではなく、概念上のセックスに相違ない。

 頭の芯が溶け、すべてがぼやけている。

 男の声は、水を吸ったかのように膨張し、不鮮明だ。

「私なら、ずっときみのそばにいるよ」

 そばにいる。

 その、陳腐でありふれた言葉を仰生にかけてくれた大人など、これまでひとりもいなかった。

 目尻から熱い雫が零れた。けれど、悲しくも、悔しくもない。心にあった大きな空白の存在に、仰生は今更ながら気がついた。自分はただ、この一言が欲しかったのだ。そう、強く実感する。

「暴力に頼りきりな生活も、上書きしてあげられる。――きみが、欲しがるなら」

 本当に、もう暴力を振るわなくてもいいのだろうか。これまでそうして生きてきた仰生には、信じがたいことだ。

「おれ、は」

 当然の逡巡だろう。仰生にとって、暴力は信仰だ。信仰がなければ、身を守ることはおろか、生きていくことも難しいかもしれない。それに加え、これまで仰生は、自ら欲するといった機会がなかった。

「暴力か、快楽か」

 男は、仰生の脳を言葉で犯し続ける。

「仰生くんが選ぶんだ」

「あ……あぁ……」

 選択を迫られ、仰生は困惑した。

 暴力と快楽。

 暴力を選べば、これまで通りの日々。眠るためだけに施設で暮らし、誰かを殴り、虐げ、怯えさせて生きていく。

 快楽を選べば――

「――い」

 仰生の唇が戦慄いた。

 鼓動が早い。全身が心臓になったかのように錯覚する。

 喉がカラカラだ。

 腹の奥が、じくじくと期待に疼いているのを感じた。

「くださ、い」

 潤んだ目で、仰生は男をまっすぐに見据えた。

 仰生はそれ以上を口に出すことはできなかった。

 しかし、男にとっては、それだけで充分だった。

 仰生が求め、男が与えられるものは、ただひとつだけなのだから。

「いい子」

 涙が滲む目尻に、男が軽くキスを落とした。

 拘束されたまま大きく開かれた脚の間に、男は膝立ちになった。片方の腿を抱えられれば、僅かに仰生の腰が浮く。軽く頭を上げることしかできないが、それでも、自身の秘部に男のペニスが押し当てられる様子がはっきりと見て取れた。

挿入はいるよ」

 後孔に、硬い感触。

 仰生は大きく息を呑んだ。

 ペニスが強く押しつけられ、男が腰を進める。

「ふ、あっ……」

 両腿を抱えられ、より浮いた身体とシーツの間へと、膝を折った男の下肢が滑り込んできた。――その直後だ。

「ぁ、あ、ぃひああァアッ!」

 熱く硬いペニスが肉壁を割り、一気に直腸の奥まで突き入れられた。

 強い圧迫感。内臓が不自然に押し上げられる感覚。

 背筋に電流を流されたような衝撃。

 脳が痺れ思考が吹き飛ぶ。

 視界が白黒と激しく明滅を繰り返す。

 肌と肌がぶつかる乾いた音が、室内に響いた。

 男が腰を前後させると、ぐちゅぐちゅと粘着質な水音が鳴り、仰生の聴覚と聴覚を侵していく。

「やっ、うそ、きもち、いッ、あン、ぁっ」

 抽送が繰り返される。くびれた雁首が幾度も内壁を擦り上げ、仰生は甘い声を漏らした。

 ぬかるんだ最奥を、とちゅ、とペニスの先端に突かれれば、その度に意識が飛びそうになる。

 しかしすぐに、その圧倒的な質量は、抜け落ちるギリギリまで引き抜かれていき、切なさに全身が打ち震えた。

 男が腰をゆるく揺すりながら、抱えた右腿に軽く吸いつく。じゅ、と小さく音がする。唇が離れたあと、皮膚には赤い鬱血痕が残った。

 花弁のようなそれが目に触れ、仰生の胸の奥がじわりと熱くなる。

 男の腰の動きが小さくなった。深い場所を狙って、重点的に責め立ててくる。抽送のたびに触れ合いを繰り返すふたりの肌と肌が、ぬちぬちと淫靡な音色を奏でた。

「ぁあん、あ、ふ、っああ、イイ――ッ」

 丸みを帯びたペニスの先端が、ぬかるむ肉壁に何度も深いキスをする。ローションや腸液が内部で捏ねくられ、ぶちゅぶちゅと淫音を鳴らす。揺すられるたびに、仰生の下腹でペニスが揺れた。鈴口からは、だらだらとだらしなく涎をこぼしている。

 五感すべてでもって、快楽に蹂躙され、仰生の理性はすっかり失われていた。

「なか、すご、ちんぽ、かたいのっ、ゴリゴリっ、きもちい」

 卑猥な言葉を恥ずかしげもなく口にすれば、より性感が高まることを、男とのセックスの中で、仰生は覚えた。

 不自由な身体を自らの意思でくねらせ、少しでも強い快楽を求めていく。

「蕩けてるよ、それにきゅうきゅう締めつけてきて……。仰生くんのナカ、すごく好い」

 深い突き上げを続ける男は恍惚とした表情を浮かべている。

「ぁ、おれの、なか……きもちい、の?」

 仰生は思わず尋ねていた。

 男のペニスによって快楽を与えられているだけでなく、仰生の身体もまた、男に快楽を与えている。

 相互的な性感の授受が行われているという事実。

 これまで暴力で誰かを傷つけることはあれど、そのような経験は、これまで一度たりとてありはしないのだ。仰生は胸がはちきれんばかりの歓喜に身を震わせた。

「ああ、気持ちいいよ。仰生くん、上手だね」

 腸壁がきゅ、と収縮し、男がうっとりとして告げる。

「じょ……ず」

「ああ、とても上手だ。いい子だね」

 ペニスを挿入したまま、男は仰生に身を寄せ、頭をそっと撫でてきた。

 幼児にするようなそれは、これまでの仰生であれば、酷く馬鹿らしいと思ったことだろう。だが、今は違う。

 自らの些細な挙動を褒められたためか、身体は内から燃えるように熱くなり、ペニスを包み込む肉壁が、ひくひくと痙攣のように激しく収縮を始めた。

「ぁ、ああ、なんかっ、ヘン」

 急激な肉体の内部変化に、仰生は逃げ出したくなった。それは、この先待ち受けているであろう、未知の感覚に対する恐怖だ。

 ぽろぽろとこぼれた涙を、男が拭う。

腰の動きを速めながら、

「っ、大丈夫だよ。……は、そのまま、気持ちよくなってごらん」

 荒い息の合間に声をかけてくる。

 優しい口調で快楽の享受を許容されれば、あとはもう、終わりに向かうだけだった。

 突き上げが速まる。

 肌を打つ、粘着質な衝突音。

 頭の中が、白で塗りつぶされていく。

「あぅ、あ、っんあ、ぃ、あァ、くる、ヘンなのクるッ」

 下腹からせり上がる淫らな熱の気配に、仰生は声を上げた。

 激しくベッドが軋む。

 男の額から、こぼれた汗が、仰生の首元を濡らす。

 男が唸る。

 乱暴に腰を打ちつけられるまま、仰生は揺さぶられた。

「くっ、いくよ、仰生くんッ! きみの中に、射精す――ッ」

 ひと際強く、腰を押しつけられる。

 瞬間的に膨張したペニスが、直腸内に精を放った。

「っ~~」

 その熱を感じ取った瞬間、頭の中で、何かが弾ける。

「う……、ぁ……」

 仰生の身体が強ばり、彼もまた、自らの腹を白濁で汚す。身体が小刻みに震えていた。気怠くも、どこか心地よい感覚。これが快楽の余韻なのだろうか。仰生はぼんやりとした頭で、そんなことを考えた。

 男のペニスが体内から引き抜かれ、得も言われぬ喪失感が、仰生を包んだ。

 同時に瞼が重くなる。吐精後の脱力感と強い疲労とが相まったせいか、仰生は急激な眠気に襲われた。

 施設以外で眠るのは、初めてのことだ。

 ここにいてもいいと、男は言った。

 それが本気かどうか、仰生には判らない。

 確かなのは、仰生自身の暴力に対する信仰が、すっかり消え失せてしまったということだけだ。

「これからは、ここがきみの居場所だよ。――酸漿仰生くん」

 うつろう意識の端で、そんな声を聞いた気がした。

 男が一体どんな表情で、言葉を口にしたのか。それは決して、仰生の知るところではない。

 

(了)

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