10001字~15000字
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掃き溜めに蜜
六月の夜の闇が、じっとりと影を踏む。 午後八時、家路につく少年の足取りは酷く重い。ありもしないぬかるみに踏み入っている心地すらした。 予備校から遠ざかっていくにつれ、歩道に面した建物が減っていく…
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月読堂のドアベルは鳴らない
喫茶月読堂のドアベルは鳴らない。繁華街に類する立地ではあるが、大通りに面していないため一見客はほとんど入らないし、珍しく来店者があっても、あまりに活躍できないそれは、すっかり錆び付いてしまっているの…
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季節と共に移ろいゆくのは
早朝の空気が、きん、と澄んだ冷たさを纏っていた。呼吸のたびにそれが肺を満たす感覚が酷く心地よく、走る足取りも軽くなる。 見慣れた川べりの土手を横目で捉えれば、ちらほらと鮮やかな赤が見えた。前日まで…
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暗褐色の海
遮るもののない澄みきった蒼空を背景に、大輪の朝顔がいくつも咲いている。紫苑色や紅の花弁は、空の青に良く映えるものだ。陽光をさんさんと浴び、露に濡れた朝顔は、萌黄色のその蔓すらもキラキラと輝いている。…
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有意義な怠惰
この場所には、いつだって陽が当たらない。真木が訪れる度、ここは四階建てコンクリート造りの校舎が作り出す、長い影で覆い隠されていた。 歩道の脇には芝生が植えられていて、五月ということで花壇にはちらほ…
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マッチョに言い寄られてました。
学校から自宅までの道中にある河川敷。その草っぱらに腰をおろして、ぼんやりと川の流れを眺めて時間を潰すのが、高校生になってからの僕の日課だった。 そこで特別、何をするでもない。ただ、自宅で過ごす時間…
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春色ピアノ
制服の上に羽織ったコートのポケットの中で、指先に触れるかさりと乾いた感触が、鋭い刃先のように胸を刺す。けれど、それでもそこから指を離せないのは、彼女が痛みごと、この現実を受け入れようとしているからだ…
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ひとを殺した小説
私は、もうずっと長い間、旅に出たかった。どこの街へという明確な目的地があるわけではない。ただ、輝くような青い海と空を見たいと思っていた。 小説家として生計をたてはじめてから十五年の間暮らしているこ…
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モノクロームの色彩
黒一色に塗りつぶされたこの世界で、ひとりの男が昇っている。――階段を。 男の足元には、見えない階段が伸びていた。否、本当は見えていて、しかしただ階段自体が、世界と同じ黒に染まっているだけかもしれな…
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願いは、ラムネ色の夢
湿気を孕み限界まで熱膨張を繰り返した空気の感触は、静かで穏やかかつ、圧倒的な暴力だ。見えないいくつもの手で荷重をかけてくるそれは、被制圧者の抵抗心すら、ぐずぐずと浸食するように、音も無く崩していく。…
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