そしてまた君は呟く〈9〉

《星は光と光の狭間で輝く》

 目映い。何百何千といった細かく鋭い光の筋が瞳孔を射抜き、脳を灼く。反射的に腕で顔を覆う。同時に閉じられた瞼は、しかし私の視界に闇をもたらしはしない。

 私は、両腕をまっすぐ前方に伸ばした。伸ばしたはずだった。そこに私の腕はなかった。ただ、筋肉の収縮に伴って、錆びた蝶番を動かしたときのような大袈裟な軋みだけが感じられた。

 どうやらここでは闇はおろか、世界を構成する色形における視覚的存在の悉くが、光の圧制によって失われているようだ。

 私は、延々と広がる輝きの荒野を前に立ちつくした。全く移り変わりのない景色において、己の肉体の脈動が、過ぎゆく時の、唯一の証人だ。だが同時に、それはこの世界において、全く不要な概念であろうとも思われた。

 

 去っていった時間が、どれほど光に飲まれた頃だったか。目映さの中に、僅かばかりの揺らぎが現れた。静静とした幻視。それはまるで、太陽の内側に月を見ているようだった。

 「そこに」

 煌めきの世界は、突如として引き裂かれた。それを成したのは水晶の響きを持つ鏃。矢は真っ直ぐに私の心の臓を貫いて、時の流れに牙をたてた。痛みはない。恐らく気付かぬ間に食われていたのであろう。

 頭の奥で、微かに音が鳴る。かちり、と。月が大きく開けた口が、ぐるりと外側に向けて放射状に捲れ、裏返しに太陽の光を飲み込んだ。

 

「ほら、そこに」

 音の先、月光の内に〈彼女〉はいた。全身像を視認こそできはしないが、しかし私には、彼女の頭の左右に一対の巻角があるのと、その手に籠が提げられていることだけは、はっきりと判った。

「どこです?」

 訊き返したが、それでも彼女の言葉は「そこ」とだけ。

 首を捻り、上下左右を見渡す。だが、どこが彼女の示すところの『そこ』であるかはまるでわからない。

 ――沈んでいるの。

 淡い熱。輪郭のない温度が、私のそばを前から後ろへとすり抜けていく。慌ててそちらへ向き直ると、足元の空間に揺らぎが生じていた。私の膝ほどの高さぐらいまでのそれは、恐らくしゃがみこんでいる彼女の姿なのであろう。私はそのとなりに立った。

 ふたりの前方の空間は、他よりも僅かに暗いようだった。周囲との輝度の差が、境界に激しい摩擦を生み、光の波がうねる。波の狭間から、ちらちらと時折顔を覗かせる、小さな黄金の煌めき。それはまるで、星のような。

「あれは――」

 ついととなりを見やって、思わず口をつぐむ。彼女がそこにいたのだ。曖昧な、概念的認識ではない。私は確かに視覚をもって、表層的に彼女を捉えることができていた。恐らくこの場所が少しばかり暗かったためだろう。それでもまだ光の影響のほうが色濃いようで、彩色も判別できず、薄ぼんやりとした姿ではあったのだが。

 私の躊躇の隙に、彼女は柔らかそうな毛の外套(……のように見えた。或いは彼女の一部なのかもしれない) から伸びた細い腕を真っ直ぐ前に突きだして、明暗の海に浸した。

 この海の〈底〉にあるのだ、彼女の求めるものは。そう、ようやく腑に落ちた。

 彼女は、この目映いばかりの世界においてなお、小さく尊い光を探し続けているのだろう。……そうであれば。

(ああ、やはり)

 屈んだ彼女のわきに携えられた籠を覗き込む。中では、数多の星々がひしめき、くすくすと睦言を囁き合っていた。

 指先が、孤独な輝きに触れた。刹那、星が砕ける。崩壊の短い音色は、彼女の両角によって拾われ、増幅され、煌めく空間を上へ上へと貫いていく。

 音のあとを、籠の中の星々が追う。彼女は黙ってそれを見送った。微笑が湛えられた口元が、霞む。明暗の海は、じきに凪ぐだろう。

 上空でぽっかりと穴が開き、そこからさらに脳を灼く光が温もりを伴って射し込んでくる。星はそこに飲まれていった。そして私も。

 裏返った光は、再び表へ。膨張と収縮を繰り返し、月光は還る――太陽へ。

 

 ど、と大きく脈動する心臓の音が、私の意識を光の内より引き戻す。眩しさに目を細めると、視界をうっすら闇が覆った。

 輝く空。見上げる彼女。その、薔薇色の頬。ふぉぉん、と角が鳴き、世界が小さく震える。

 穏やかに笑む口元が、音の伴わない声で私に告げた。

 ――もうすぐ、夜が来るでしょう。

 全ての光を喰らう闇を飾るのは。

       
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