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それは、決して不快とは言い難い苛立ち。開かない窓越しに、積りゆく新雪を眺めるしかない幼児の心境に似ていたかもしれない。 「何で速水先生は描かねえの」 机上に広げられたスケッチブックは、隅だけが適当…
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僕は、嘘が嫌いだ。嘘をつけばかならずどこかで誰かを傷付ける。だから僕は、自分自身にすら嘘を付かないよう、正直に生きている。 「目玉が好きなんだ」 木箸の先端を、皿の上に横たわる頭と骨だけになった鯵…
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昨日の明け方から、雨は降りだした。今日の日暮れになっても、まだ止んではいなかったが、夜が更けた今でも、それはどうやら続いているらしい。 「外はすごい霧だ」 玄関に入るなり、彼は濡れたその広い肩を手…
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純白のシーツの上に桜の花弁が散りばめられていた。ガラス越しに差し込む陽射しが暖かく、また、僅かに開けた窓から吹き込む穏やかな南風が、遠くから柔らかい新緑の香りを伴って、私の頬を擽る。満開の桜が立ち並…
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それは沼底に沈んでいる。沼底の、きらきらと輝きまたどろりと粘つくような手触りの、腐臭の染みついた汚泥の中に、手のひらで包み込まれるようにして、確かにそれは埋もれているのだ。 *** すべてのもの…
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触れることのできないその赤を、私は美しいとさえ感じた。その感覚は、まさに赤い目覚めであっただろう。 三角錐を逆さにし、そこから角という角を奪い去り、上向きになった底の部分を発展途上の少女の胸部のよ…
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真っ白な部屋で、それを監視することが、ここでの僕の仕事だった。 それとは、目の前に置かれた巨大な強化プラスチック製の箱に収容された被験体だ。今日の被験体は、茶色く汚れたぼろ布のような衣服を身に着け…
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しんと冷えた夜の空気が、開け放った窓から流れ込み、私の体を包んだ。肺の奥まで凍えるような外気は、ぬるま湯に浸かったようにぼんやりと浮かれ現実感を失っていた私の脳を、すぐに覚醒させてくれた。覚醒すれば…