金魚救い
「また?」
立ち止まった俺の隣で、彼が呆れ混じりの溜息を吐いた。
足元には浅い水槽。屋台骨にくくりつけられた提灯の淡い橙色が、水面にちらちらと反射する。
きらめく水の中で、いくつもの黒や朱色のヒレが優美に揺れた。
水槽を挟んだ向こう側で、死んだ目をした中年の屋台主が、がさついた唇で、客寄せ口上を呪文のように垂れ流している。
「ほっとけねえだろ」
しゃがみ込んで、店主に百円玉を五枚差し出す。それと交換で、プラスチック製のポイがひとつ手渡された。
「家に何匹いると思ってるの」
頭上から降りそそぐ恨み節に、
「今更何匹か増えたって」
変わらないだろ? と、振り返りもしない。
彼はきっと、眉間に皺を寄せて、不機嫌そうにこちらを見下ろしていることだろう。
手にしたポイを水に浸す。水面に浮くブリキの碗に手を添えた。
碗の下を、ポイのそばを、それらはただただ優雅に泳ぎ回る。当然ながら、自らの末路など知るはずもない。
「――何匹か掬ったところで」
彼はそれ以上の言葉を紡がなかった。何を言っても無駄だと知っているからだ。
俺とて、すべて承知の上だった。
決して広くない自宅アパートは、既に玄関から居間まで、大小様々な水槽だらけ。それに、ここから数匹掬って帰ったところで、残される数のほうが圧倒的に多い。
それが現実だと、理解している。だが、どうしても、見て見ぬふりをすることができなかった。
祭りのたびに、俺は金魚を数匹ばかり掬う。そうして彼と一緒に、自宅へと連れ帰る。もう何年も、同じことを繰り返していた。
「偽善者」
手に提げたビニル袋の中には、朱色の金魚が三匹。人の流れに沿って歩きながらそれを眺める俺に、彼は憎々しげに言い放った。
口調とは裏腹に、少し頬を膨らせた表情は、まるで子供みたいだ。
「そうかもな」
思わず苦笑が溢れた。
空いた手で、彼の腰を引き寄せる。
互いの体が触れ、瞬間、彼が目を丸くした。小さな口を物言いたげにぱくぱくとする様子は、金魚のそれとよく似ている。
「偽善者は嫌いか?」
そう耳元で囁けば、
「――金魚の餌、切れそうだよ」
雑踏に消え入りそうな声で答えて、そっと視線をそらした。
祭り囃子と体に触れた熱が肌に馴染み、酷く心地良い。
空いた水槽は、まだあっただろうか。
ゆっくりとした足取りで、賑わいの終着点を目指しながら、俺はぼんやりとそんなことを考えていた。
(了)