名も無き墓標
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山あいの集落は日暮れが早い。高い山が、地平線に沈むより先に太陽の光を遮ってしまうからだ。秋ともなれば、それはなおさら顕著になる。 狭い農道の周辺には、既に稲刈りを終えた田が広がる。刈田特有の、稲わ…
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僕の手を握る彼女はへどろ色をしていた。 彼女だけではない。彼女の背後に建つぼろアパート、ところどころひび割れたブロック塀、その上をゆったりと歩く野良猫、雲ひとつない空、そうして彼女にひかれる僕の手…
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喫茶月読堂のドアベルは鳴らない。繁華街に類する立地ではあるが、大通りに面していないため一見客はほとんど入らないし、珍しく来店者があっても、あまりに活躍できないそれは、すっかり錆び付いてしまっているの…
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ふと、どこかへ旅に出ようかという気になった。一週間ほど肌寒い日が続いたのが、今日になって突然暖かな陽気になったものだから、つい窓を開けて庭を覗いたのがいけなかった。 冬独特の軽く乾いた鋭利な感触に…
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私は、もうずっと長い間、旅に出たかった。どこの街へという明確な目的地があるわけではない。ただ、輝くような青い海と空を見たいと思っていた。 小説家として生計をたてはじめてから十五年の間暮らしているこ…