そしてまた君は呟く〈0〉

《人間じみた電脳の呟き》

 視界一面に広がる無機質なスカイブルーが目に刺さる。ヘッドマウントPCに搭載された有機ELディスプレイの発色は、液晶より格段に良く、美しくもあるが、しかしながら決して目に優しいものではないなと、起動の度に思う。

『音声または視線カーソルでメニューを選択してください』

 スカイブルーの中に、黒い人型が現れ、合成音声が流れる。ナビゲーショントークと呼ばれるサービスだ。この黒い人型はナビゲーターといい、流行のアイドルや、アニメーションキャラクターの姿や音声を変更することもできる。ただし、デフォルトでインストールされているのはこの黒い人型と、スーツを着た若い女性のナビゲーターだけであり、その他のものに関しては有料でダウンロードする必要があるのだが。

「起動、ツイッタークライアント」

 私が声に出すと、ナビゲーターが消え、代わりに選択したアプリケーションが立ち上がる。ツイッターというwebサービスを、快適に閲覧するためのものだ。

 ツイッターは、サービス開始から二十年経った現在でも、いまだ多くのユーザーを有する、ミニブログサービスである。投稿できるのは百四十字まで。投稿した文章は、自身のアカウントホームに縦並びに表示され、これはタイムライン(TL)と呼ばれる。このTLには、自分の投稿した文章(サービスとしての固有名称は『ツイート』)の他に、登録した自分以外のユーザーのツイートが、一緒に流れていく。他ユーザーを登録することをフォローといい、反対に自分をフォローしたユーザーをフォロワーというのだが、この、フォロー――他者と、自分の発言が混ざり合って、時間の経過と共に画面の下へ下へと押しやられていく様が、ユーザーに見知らぬ誰かとあたかも時間を共有しているかのような錯覚を起こさせ、また、その刹那的な感覚が、他のwebサービスでは得られない、異様な高揚感を煽るのである。だからなのか、一度利用し始めてしまうと、なかなか辞めることができない。ユーザーは、一種の中毒に陥ったような状態なのだろう。もちろん、私自身も例外ではない。そして恐らくこれが、ツイッターというサービスが長く続いている理由だ。

『このアプリを連携させますか?』

 合成音声のナビゲート。私は視線カーソルで『YES』を選択、まばたきをもってそれをクリックした。

 ツイッターは、元々文字の他に画像の投稿ができた。動画や音声は、サービス開始当初は外部URLを添付するという形で投稿するしかなかったが、今ではツイートに直接載せることができるようになっている。

 そんな現在、ツイッターで流行っているひとつの『遊び』があった。ヘッドマウントPCにプリインストールされている思考映像化アプリ『ビジュアライザ』で、フォロワーを疑似映像化するというものだ。

 そもそも『ビジュアライザ』の元となったアプリは、言葉が不自由な者の思考を読み取り、外部との意思疎通をはかることを目的に開発されたもので、医療の現場で使用されていたということもあり、世界中の人間が知る有名アプリのひとつだった。それを一般向けにカスタマイズしたものが『ビジュアライザ』だ。思考を読み取り、それを映像化するというと部分は、元となったアプリと変わらない。ただ、新たに加えられた機能が一風変わっていて、それが大衆に大いに受け入れられたのだ。

 新機能『ファンタジック・ビジョン』は、その名の通り、思考を現実とはかけ離れた映像で生成・出力する機能であった。

 画面には、私のツイッター上のプロフィールが映し出されている。フォロー数フォロワー数は共に、最近三桁に到達したばかりだった。

 百を超えるユーザーをフォローしたTLの流れは時に速い。まるで滝壷に落ちる水のようだと思う。広い視界で水の流れを全体として捉えることはできるが、その粒子ひとつひとつを視ることは不可能だ。TLが滝の様相を現す時、私はただただ、その勢いに圧倒されるばかりだった。

『その三桁の数字は――』

 PCと一体になったヘッドフォンのスピーカから、ノイズ混じりの合成音声が響く。プロフィール表示を遮るように、画面上に大きく黒い人型が浮かんだ。顔の部分が、大きく映し出されている。『顔』とはいっても、目も鼻も口もない。その中心が、波紋を浮かべた水面のように揺れている。

 このナビゲーターには、どうやらバグがあるらしかった。時折このように、ナビでもヘルプでもないセリフを口走るのだ。ネットを通してメーカーにバグ報告を何度か出したこともあったが、返信は一向になく、かといってこの事象に対処するためのアップデートも行われないので、もはや改善は諦めていた。

『全てあなたへの憐れみに過ぎない』

「……そうかもしれないね」

 ナビゲーターの言葉に、思わず苦笑いが浮かぶ。頷いて同意を示すと、画面の中のナビゲーターも同じように頷く。薄っぺらな頭が、剥がれかかった壁紙のように、上部がぺろりと捲れた。その向こうには、鮮やかなスカイブルー。またぺたりと、そこに黒い人型が貼りつく。

 このナビゲーターは、こうして私と会話ができる。ツイッターを通じて他のユーザーに訊くと、そんなこと不可能だと言われたので、きっとこれもバグなのだと思う。しかしこれは私にとっては、なかなか都合のいいバグだった。なにせ、ナビゲーター以外に私と会話をしてくれる者など、今は誰もいないのだから。そのことで、特別寂しさを感じていたというわけではない。ひとりで気ままに、好きなことだけをして生きているのだから、他人と会話などできなくても構わなかった。ナビゲーターとの会話は、単なる暇つぶし、或いは――そう、一種のお遊びみたいなものなのだ。これから、私がやろうとしていることと同じく。

『あなたが今から実行しようとしている行為は、非常に愚かで無駄なことだ。止めなさい。これは警告だ』

 「コンピュータである君が、人である私に愚かさを語るのかい? そりゃあいいね、傑作だ。君は本当に、よくできたバグだよ」

 皮肉を交えて言うと、ナビゲーターの体全体が、大きく震える。私はそれを見て、小さく肩をすくめた。

『バグではありません』

 合成音声のボリュームが、僅かに下がった気がした。時に『彼』はこういった、扱いづらい面もみせる。

(人がコンピュータに気を遣う日が来るなんてなあ)

 溜息を吐く。彼に聞こえたかもしれない。いや、きっと聞こえているだろう。それでも彼が、そこに言及してくることはなかった。

「……そうだね。撤回しよう。君は優秀なプログラムだ。でも今回は君の意見を聞くことはできない」

『何故。結果は既に見えている。三桁の数字はあなたには華美すぎる装飾だ。あなたの発言には誰も注目しない。あなたの遊びに付き合うものは誰もいない。あなたは誰にも相手にされない。あなたは、あなたは、あなたはあなたはあなたアナタアナタ――……』

 画面に僅かに残っていたスカイブルーの背景が、徐々に明度を落としていく。空のような薄い青から海を彩る碧へ、そこから徐々に、夜と昼の境目を示す群青へと、色味が変化する。そうして、画面全体が黒で塗りつぶされた。黒の上に、太い明朝体で、白く大きな文字が浮かび上がる。彼の声に合わせて。『あなたあなたあなたあなた』と、黒を埋めつくすように。

「……拗ねても、だめだよ。今回ばかりは」

 文字の羅列は止まらない。白い『あなた』は二重三重に、画面上に積もっていく。

「君が協力してくれないのなら、それでもいい。このままシャットダウンして、別のPCを使うさ」

 見え透いた脅しだ。そう、自分でも思った。何しろ、今使っているヘッドマウントPC以外に、私はPCを持っていないのだから。しかし、彼はそれを知らない。何故なら彼は、単なる『プログラム』でしかないからだ。けれどプログラムである彼に、この脅しが通じることを、私はよく承知していた。

 予想通りの沈黙。同時に文字の羅列が止まる。重なりあった『あなた』という文字によって作り出された白い画面が、どろりと下へ溶け落ちていった。その後ろから、元のスカイブルーが現れる。その中央には、ツイッターのプロフィール表示。ナビゲーターは、そこに姿を表さなかった。

『メニューを選択してください』

 淡々とした、無機質な合成音声だけが響く。

「……悪いね」

 私がぼそりと言うと、

『メニューを選択してください』

 同じナビゲーショントークが再び流れた。

『メニューを選択してください』

『メニューを選択してください』

 二度では終わらず、それは何度も、執拗に。

「分かった、分かったから。そう怒らないでくれよ。私にはもう、君しかいないんだから」

 ナビゲーショントークがぴたりと止まる。まだ彼は姿を現さないが、どうやら少しばかり機嫌を直してくれたらしい。複雑なプログラムが、こんな単純なセリフで。そう考えると、少し可笑しかったが、ここで笑ってしまっては、また彼の機嫌を損ねてしまうだろうと思い、何とか堪えた。

「入力」

 指示と共に、表示がプロフィールからTLへと切り替わる。フォローしているユーザーのツイートが、雨粒のように、ぽとりぽとりと落ちていく。平日の昼間とあって、オンラインのユーザーは少ない。四六時中こうであればいいのにと思う。けれど私の願いとは裏腹に、夜になれば数多くのユーザーが投稿を始めるのだった。

 この『お遊び』を実行し、またそれによって私自身に満足のいく結果を出すためには、この時間帯でなくてはいけない。私の呟きが、流れ落ちる滝の中のひとしずくであっては、決してならないのだ。

 タイムラインの上に、白い四角形がポップする。その右下には『140』という数字。これが、入力できる文字数の限度である。一文字入力する毎に、この数字がひとつずつ減っていく。

「ハッシュ」

 私が言うと、四角形の中に、音楽で使うシャープに酷似した記号が浮かぶ。

 視界に映る真っ黒なそれ。この後に続けようとしている言葉のことを思う。途端、ぐ、と息が詰まる。

 ――『その三桁の数字は全てあなたへの憐れみに過ぎない』――

(そんなこと、分かっている)

 ――『あなたは誰にも相手にされない』――

(それも、知っている)

 だから、昼間を選んだ。私のツイートが、他者のツイートにすぐに押し流されることがない、この時間帯を。

(落ち着け。これはただの『お遊び』だろう? 誰からも反応がなくたって――)

『あなたが』

 画面に半透明の黒い影が揺れた。しかし一瞬で消え失せる。スピーカーからは、抑揚のない合成音声。それは僅かにくぐもって聞こえる。

『心を擦り減らす必要性がない』

 バグが生み出したその言葉に、私は思わず小さく吹き出した。

「……今の、いいね。君は『人間』より『人間』らしいコンピュータのようだ。――大丈夫、心なんて、とっくに擦り切れて無くなってるんだから。さあ、続きを頼めるかい」

 頬を緩めたまま、私は彼を促した。

『……文字を入力してください』

 彼はやや間をおいて、規定のシステムナビゲートを始めた。それを聞き、私は大きく頷く。再び邪魔が入らないうちに、投稿してしまわなくては。

 記号の後に続ける言葉を、私は口にした。彼が音声を認識し、それが文字となって画面上に現れる。

 ――#リプライをくれた方を私の思考を通して映像化し公開する――

 太いゴシック体で、目の前に映し出された文字をチェックする。どうやら変換ミスはないようだ。

 それを二度三度と確認してから、私は深呼吸をした。肺いっぱいに空気を取り込み、鼻からじわりと吐き出す。

 そしてゆっくりと、私はまた、呟く。

 「……ポスト」

 それと同時に、画面全体が、ふるりと小さく震えた気がした。

       
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