不純文学

『純文学』という言葉が嫌いだ。芸術的価値のある作品こそが至高かつ純粋なる文学の形なのだと云いたげな、高尚ぶった響きが鼻持ちならない。

 そもそも、私自身物書きであり、書いているものは『純文学』にあたる。だからこそ『純文学』が憎かった。自分の作品に、一見近寄りがたい堅苦しい肩書きがつくのが許せない。

「それで、考えたんだが」

 電話口で一方的に語る私に、担当編集者はやる気のない相槌を寄越した。固定電話の、螺旋状に巻かれた受話器コードを指に巻き付ける。

「結局『純』という部分がよくない。つまりここを変えれば問題解決。元々の言葉の性質を壊さず、かつ別の単語に入れ換ればいい」

 我ながら素晴らしい発想だ。耳に届く深い溜息は気にしない。

『それで?』

 電話機の前で胸を張り、高らかに宣言する。

「『不純文学』」

『……そのココロは?』

「文学はおっぱいだ。しかしおっぱいを求める時、ひとはみな不純な狼となる……」

『切ります』

「やめて」

『……先月出版された先生の《乳輪譚》、重版かかりましたから』

 素っ気ない電子音が告げている。やはり、文学はおっぱいなのだ、と。

(了)

       
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