カエルの死骸

 アスファルトの敷かれた道路の上で、カエルが死んでいた。情けなく手と足を広げた格好で、ぺしゃんこになっていた。車に轢かれたのであろう。口からはピンク色の内臓が飛び出していたが、それも体同様に潰れている。濡れた路面に、カエルの血は流れていない。皮膚はまだ生きていた頃のみずみずしさを残しており、そこに外傷は見当たらなかった。

 私はしゃがみこんで、カエルの死骸をまじまじと見つめた。そして指先でそっと触れる。もしかすると、生きているかもしれない。そう思った。その表面は雨のせいか、はたまたカエルの体液によるものなのか、糸を引きそうなほどにぬるりとした感触だった。押せば、少しばかり硬い。薄く潰されているせいだ。これは恐らくアスファルトの硬さだろう。

 やはり、カエルは死んでいる。当然といえる結論に私は僅かばかり落胆した。しかしそれでも、概ね満足はしていた。美しい死だった。生前の姿を残しつつ、確実な死の証さえも持ち合わせている。それはまさに、私の理想とする死だった。

 人間にとって、死はいつだって悲劇的だ。死体を前にしたその肉親や友人知人の悲愴感をかきたて、そしてその誰しもが故人を想いその死を悔恨する。私は常々、このことを不快に思っていた。

 死はすべての生物に等しく訪れる。終わりのない生など、存在しない。たとえどんなに非人道的な生き方をしてきた者でも、死をもってして、自身が紛れもなく人であったとことを確認することができる。だから死に直面したからといって悲観などする必要はなく、むしろ正しき命の終わりである死を迎えられたことに感謝すらするべきなのだ。

 だからこそ人はみな、このカエルのように死ぬべきである。

 押し潰された体は、その者の確かな死を見る者全てに伝える。割れた頭部から鮮やかな内容物がこぼれ、かつて口であった場所から臓物を溢れさせるその姿は、生への僅かな希望すら打ち砕く。しかし不必要に傷ついていない体は、残された者たちに不思議と安堵感を与えることだろう。病気などと違い、たった一瞬で訪れる死に、誰しもが言葉を失うはずだ。それで良い。自然の摂理である死に対して、詩人じみた台詞や悲哀に漏れる嗚咽は必要ない。

 やはり人は、轢かれたカエルのように死ぬべきだ。

 ひとり静かに頷いたその瞬間、パッと目の前が眩しく光った。

 弾けるような車のクラクション。

 振り向けば、巨大なローラーをうおんうおんと唸らせながら走る鉄の塊が私の背後に迫っていた。

 そうだ、これでいい。

 瞼を閉じ、ゆったりとした気持ちで来たるべき衝撃を待つ。

 そして私は、私の身の丈以上もあるローラーとアスファルトの間に挟まれた。

 同時に、視界は暗転。

 このカエルのような死が、ようやく私にも訪れるのだ――。

 次に目を覚ました時、私は濡れたアスファルトの上に横たわっていた。

 体に傷はない。勿論薄っぺらく潰れてもおらず、さらに口から内臓が出ているはずもない。頭も普段どおりの位置に普段通りについていた。唇の端だけが少し切れ、出血している。そして当然のように、私は死んでいなかった。

 背中にぐちょりとした不快さを覚えながら、天を仰ぐ。空は暗く、その中心には三日月が輝いている。星がきらりと流れたが、私は「どうか死ねますように」などとは願わなかった。

 自然と溜め息がこぼれる。

 私はいつもこの一時だけは、隣に横たわるカエルの死骸よりも、悲しみに満ちた人の死のほうが、幾分か羨ましく思えるのだった。

(了)

       
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