耳と、ピアスと、それからぜんぶ

 ベッドに押し倒した相手にキスをしながら、その耳に触れるのは、水無瀬の悪い癖だ。舌を絡ませ、唇を食み、わざといやらしい水音をたてながら、同時に指で耳朶の端を摘まみ擦り、耳介に沿って撫で上げれば、はしたない熱が下腹で膨張する。

 水無瀬は思春期の頃から、他人の耳に異常なほどに興奮する性癖を自覚していた。だが、それを周囲に漏らしたり、ましてや交際相手に伝えたことなどなかった。

 男女問わず、付き合っていれば流れでセックスをする。最中に耳に触れ、それによって高まった性的興奮のままに行為を進めても、気にする相手はこれまで誰もいなかった。だからわざわざ積極的にアピールする必要もなかったのだ。

「……は、ァ……みな、せぇ……」

 だが、目の前の青年は違う。水無瀬の性癖を知ったうえで、こうして今ベッドに組み敷かれている。そもそもふたりの付き合いが始まったのが、水無瀬の耳への異常執着がきっかけだったのだから、それも当然だ。

 唇が離れると、桧山から懇願の色濃い声が漏れた。

「んー? 桧山くん、どしたの? まだキスしかしてないよ?」

 ふざけた調子で尋ねながら顔を覗き込めば、潤んだ目が恨めしげに水無瀬を見返してくる。

「うそ、つき……ッ! 耳、も、やだ、ヘンになる……!」

「うーん」

 少し考え込むふりをして、桧山の両耳に同時に触れた。

 外耳上部の窪みを指でゆるゆるとくじる。骨の硬さとも肉の柔らかさとも違う、皮膚に包まれた軟骨の感触。そして指先が体とは別の無機質な冷たさに行き当たると、その落差に水無瀬の下腹で再び欲が疼きだした。

 シンプルなシルバーのボールピアスが、桧山の耳には多くつけられている。耳朶には同じくシルバーのリングピアスが右にふたつ、左にひとつ。水無瀬が桧山の耳に執着するのは色形は勿論だが、それ以上にこのピアスによるところが大きい。

 桧山は物静かな青年だ。本人曰く人と関わるのが面倒なだけだというが、少なくとも水無瀬は元々彼に対して『おとなしく地味』な印象を抱いていた。

 最初は、友人のさらに友人という、ほぼ他人の関係だった。それが変化したのは、水無瀬が彼のピアスに気付いたからだ。

 一ヶ月前、大学構内でたまたま桧山と出会い、水無瀬は軽く挨拶をして別れるだけのつもりだった。酷く風の強い午後で「雨が降りそうだね」などと短い会話を交わした。

 ――運命だ、と水無瀬は思ったのだ。普段は長めの黒髪で隠された桧山の耳が、強風によって露になった瞬間に。

 少し小さめの、上後部が僅かに尖ったそれら。そこを飾るのは、桧山の印象からは想像もつかない複数のシルバーピアス。

 時間が止まった錯覚すら感じさせるほどの衝撃。それが単なる情欲によるものだけでないことを、本能で理解させられた。

 この時を境に、水無瀬は桧山に対して他人以上の関係になりたいと迫るようになった。そして念願叶って、ようやく今日という日を迎えるに至る。

「桧山くんの耳がキレイだから、どうしても触りたくなっちゃうんだよね」

 左手指で耳道の入り口をゆるゆると撫で、右手でピアスをひとつずつくすぐった。

 水無瀬に触れられたためか、或いは顔が紅潮しているためか、桧山の両耳はほんのりと赤く色づいている。

「あは、赤くなってる。シルバーがよく映えるね。かわいい……それに、すごくえっちだ」

 左の薬指を耳孔にそっと差し入れ、耳壁を撫でる。桧山の背筋が震えた。両目をきつく瞑り、唇を噛んでいる。

「ほんと、理想の耳。形も、色も、ピアスも――」

 指でくじるのとは反対の耳に、熱い息を吹きこむ。

「ふァ…ッ」

 シーツに横たわる桧山の体が跳ねる。思わず開いた桧山の唇から甘い声が漏れ、閉じたままの目から滲んだ涙のせいか、睫毛がしっとりと濡れていた。彼も下半身にもどかしい熱を感じているのだろう。両腿をしきりに擦り付けている。

 自身が行う耳への愛撫によって、目の前の青年が快感を覚え始めていることに、水無瀬はたまらない気持ちになった。胸がきつく締めつけられるような、しかし決して不快ではない感覚に目が眩む。頭の芯が蕩けてしまいそうに熱い。

「ね。ここ、舐めたいな。桧山くん、いい? それとも、耳、されるの……もういや?」

 耳元に口を寄せたまま、熱に浮かされたように切ない声色で水無瀬は懇願する。

 甘えるように、耳に、ピアスに、髪に、頬に、目尻に、次々とキスを落としていく。

「――っ」

 両頬に温かいものが触れた。それが何かを理解する前に、唇を何かが掠める。桧山の顔が、すぐ目の前にあった。

「いや……じゃ、ない」

 伏せ目がちに、桧山が呟く。

「すき、だから……して。水無瀬の、したいこと――全部、されたい」

 これまでで一番真っ赤にした顔を見て、彼からキスをされたのだと水無瀬はようやく気が付いた。

「かわいい」

 恥じらう彼の姿があまりに愛しくて、口元が緩む。こどもにするように頭を撫で、今度は水無瀬から、恋人のキスを桧山に贈った。

「ありがと、桧山くん。ぼくもだいすきだよ」

 ふたりの唇が離れると同時に囁く。そして一呼吸も置かず、ついに執着の対象へと舌を伸ばす。

 先程までリングピアスを弄っていた桧山の左耳。まずは上方の付け根からその輪郭を舌で丁寧になぞっていく。ふっくらと柔らかな耳朶に到達すると、躊躇なくピアスごと口にふくんだ。相反する二つの感触を舌で転がす。時折歯とピアスが触れあって軽い金属音がたつ。唾液と共に音を飲み込んだ。同時に耳朶を吸い上げる。できるだけ下品な音がするように。興奮を伝えるため、呼吸もわざとらしいほどに荒々しく。

 その間、反対の耳への攻めも休めることはない。空いた手の指先で挟み、くすぐり、揉み、窪みをくじる。ピアスに触れれば、性器に射精を促すような動きで皮膚ごと扱きあげた。

「ひ、ぁあ――っ、ふ……、あ、ン……ぁッ」

 桧山が下半身を捩る。ベッドが軋む音と桧山の口から漏れる嬌声が、水無瀬の耳から脳内へ、甘い蜜のようにどろりと侵入し、なけなしの理性を溶かしていく。

 耳朶から口を離し、今度は舌先を使ってちろちろと舐めはじめる。耳の端を、窪みを、軟骨を貫くボールピアスを。それから再び耳朶を弄んだあと、リングピアスを舌で揺らす。ピアスが左右に動くたび、耳朶の皮膚を掠めた。

 恥じらうように薄紅に染まる皮膚。濡れていやらしく艶めくシルバー。それらの対比が、水無瀬の衝動を酷く煽る。

 水無瀬は犬歯で、揺れ動くリングピアスを噛んだ。そのまま軽く顎を引く。

「っく、ぁ……!」

 耳朶が、ピアスに引かれて伸びる。その光景に、もっと、もっと、と水無瀬の無意識がさらに体を動かす。

「あ……あ、ぁ……」

 限界まで皮膚が引き伸ばされたところで、水無瀬は動きを止めた。

 桧山の体が小さく痙攣している。それが恐怖のためであったか、或いは捕食される恍惚のためであったかは、水無瀬には到底知れない。ただ、小さく喘ぐ桧山の姿は、水無瀬の情欲を限界まで高めるには充分すぎた。

 ふ、と口を開く。耳朶が元の形に戻っていく。それを見届ける前に、外耳の下半分に喰らいついた。くわえて、甘く歯をたてる。薄い皮膚の下に軟骨を感じた。緩く噛み締めれば、くりくりと心地よい感触。皮膚越しに軟骨を弄びながらも、舌は忙しなくピアスを舐る。時折、耳朶とリングの僅かな隙間に舌先を捩じ込んだ。

 人の身体とはまるで違う、素っ気ない金属の味が、唾液の分泌を促していく。それは水無瀬の顎を伝いこぼれ、また桧山の耳道の入り口をしとどに濡らした。水無瀬の舌が、歯が、唇が動くたびに、粘着質な水音が生み出される。

「……め、だめ……! 水無瀬、音が――ッ」

 力の抜けた腕が、水無瀬の胸を弱々しく押し返してきた。しかし、水無瀬はそれを拒絶とはとらない。反対に音がもっといやらしく響くように、耳道に舌を差し入れる。奥まで入り込むことはないが、それでも唾液にまみれた舌先を抜き差しすれば、セックスとなんら変わらない淫靡な音が室内に響いた。

 否、これは水無瀬にとっては間違いなくセックスだった。むしろ、劣情を刺激し、自身の性欲を満たし、相手に快感を与えるこの行為が単なる愛撫であるはずがない。

「や、もぉ、おかしくなるぅ……」

 桧山が水無瀬の背に腕を回し、必死にしがみついてきた。

「……なせ、みなせ……!」

 浮かされた下半身が、水無瀬の身体に擦りつけられる。厚いデニム生地越しでも、桧山自身が硬く熱をもっているのが伝わってくる。

 は、と我に返り、思わず耳から顔を離す。桧山は両目からぽろぽろと涙をこぼしていて、その姿を目にした水無瀬は、慌てて彼の身に着けたデニムパンツの前を寛げてやる。パンツを下着ごと下げると、張り詰めたペニスが震えながら顔を出した。

「ごめんね、桧山くん、気付かなくて。苦しかったね」

 桧山は目を逸らしたまま、水無瀬を見ようとはしない。

「恥ずかし? 大丈夫だよ、桧山くんがえっちだから、ぼくのも、ほら」

 言って、昂った自身を出し、ゆるゆると桧山のそれに擦り当てた。

「あ……、水無瀬、の……」

 熱と熱の接触は、互いの劣情が等しく互いに向けられているのだと、否応なく理解させる。

 安堵に僅かな恍惚を混じらせた甘い溜め息が、桧山の唇から漏れた。

「ね、おんなじ。だから恥ずかしくないよ」

 頬に軽いキス。桧山が小さく頷いたのを確認すると、水無瀬は触れ合った熱同士を一緒にして、手のひらで包み込む。そうして、ゆるゆると上下に扱きながら、

「桧山くん、……ふたりでもっと、気持ちよくなろ」

 揺れるピアスのそばから、蜜を流し込むように囁いた。

 無心にただ快楽を追い求める行為は、至極性急に為された。

 水無瀬の手には、自然と桧山の手が重なった。

 相手の手のひらに自身を擦り付けるように、ふたりの腰が揺れる。

「あァ……! あ、ン……、は、ァふ……ッ、ひ――ァ、ぁ、は……ッん」

 途切れ途切れの喘ぎが、その蕩ける甘美な響きでもって水無瀬の鼓膜を震わせ、脳を侵した。急激に射精感が込み上げ、堪らず目の前で揺れるシルバーに耳ごと歯をたてる。

「や、でる……っ、水無瀬ッ」

 桧山の手が離れる。全身がこわばり、その背がぐっと反り返った。

 追い立てるように、手の動きを早める。

 息を詰める。桧山も、水無瀬も。手のひらの内で、ふたつの熱が一際大きく膨張し、爆ぜる。

「――く、ァ……っ!!

「――っ、」

 ほぼ同時に絶頂を極める。

 ふたり分の白濁が、水無瀬の手と桧山の腹を汚した。

 手の中で混ざりあったそれと、ベッドに体を投げ出し脱力する桧山とを、交互に見やる。そうしていると次第に胸が締め付けられるような気分になり、水無瀬は思わず、劣情の残滓へと舌を伸ばしていた。

 

「桧山くん、ありがとね」

 最低限の後処理だけをし、疲労の色濃い体をベッドに横たえるなり、水無瀬が言った。

「……ん?」

 さらりと髪を撫でられて、桧山は小さく首をかしげる。水無瀬の指が、髪を掻き分け、そこへと触れた。

「耳、舐めさせてくれて。すごく興奮した。感じてる桧山くん、えっちでかわいかったな」

 耳の縁を軽くなぞった。最中の性感を導く手つきとはまるで違う、心底慈しむような仕草で。

「……そう。水無瀬が満足できたなら……いい」

 心なしか、桧山の声が暗い。

「どしたの? やっぱやだった?」

 水無瀬は、彼の顔をそっと覗き込むようにして尋ねた。

「そうじゃ、ないけど」

「けど?」

「その……しなくて、いいのか?」

「何を?」

 水無瀬が何度も聞き返すうち、桧山は顔を真っ赤にして、枕に顔を埋める。

 そして消え入りそうな声で、

「…………セックス」

 一言呟いた。

 瞬間、その単語の意味するところが、水無瀬には理解できなかった。何せ、水無瀬の中ではすっかり満足いくセックスをしたことになっていたのだ。

「あ、そっか。……そうだよね、桧山くんは、耳だけじゃ足りないよね」

 暫し考え、ようやく納得する。世間でいうところのセックス――性器の挿入を伴う行為を、つまり彼は求めているのだろうと、水無瀬は思うに至った。恋人同士なのだから、相手にも性的な充足感を得てほしいと考えるのは、当然のことだ。

「え、や、そういう意味じゃ――」

 慌てて上半身をもたげた桧山の唇を、水無瀬が軽く塞ぐ。そのまま桧山をベッドに再び押し倒すと、

「じゃ、しよっか」

 にっこりと笑ってみせた。

「ちょ、水無瀬!?

「あ、時々耳、舐めるのは……許してね」

 桧山が弁解しようとするが、もはや水無瀬には届いていない。恋人を満足させること。ただその目的だけが、すっかり彼の頭を占めている。

 何度も唇にキスを落とす。それからゆっくりと耳に口を近付けて、水無瀬は囁いた。

「すきだよ桧山くん。耳も、耳じゃないとこも、全部すき」

(了)

       
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