罪悪と懐古の底で

 とっくに廃校になったと聞く小学校のそばに、その店はあった。建物全体としては、民家のようでいて、しかし一階部分はガラスの引き戸を左右に開け放たれ、ごちゃりと物が並んだ棚が、外から丸見えになっている。
 モスグリーンのオーニングには、白く『大川商店』の文字。看板だけは異様に真新しいため、ここがまだ営業中なのだと判った。
 平田志羽しうは、この土地の人間ではない。だが、所縁はある。母親の地元であり、母方の祖母をはじめとする親戚が、多く根ざしている。幼い頃は長期休暇にあわせてよく祖父母宅に泊まり、周辺に住むこどもたちと遊んだものだった。
 だが、思春期を迎えてからは随分と足遠くなり、こうして訪れるのも八年ぶりだ。祖父の葬儀に参列するという理由がなければ、自らの意思で来ることなど決してなかっただろう。
 大川商店は、志羽が幼い頃から存在していた。祖母と同じくらいの年齢の女性が店主をしている駄菓子屋で、彼自身、何度かここで菓子を買ったこともある。
 散歩中に、ふらりと店内に足を踏み入れたのは、単純に懐かしさに惹かれたからというわけではない。
 志羽はもう、かつてこの場所に出入りしていた頃のような、悪意を知らぬ純粋なこどもではなかった。
 

 店内は照明が弱く、昼間だというのに薄暗い。低い棚に、見覚えのあるパッケージの駄菓子が所狭しと並んでいる。土間特有の冷たい湿っぽさが、志羽の肌を包んだ。
 彼の思った通り、店内にひと気はない。田舎の店ではよくあることだ。店主は店の奥の自宅にいて、用のある客が呼びたてるまで出てくることはない。ほとんど客が来ず、その客も善意の顔見知りばかりであると前提されているからだ。
 な、とごく当然のように志羽は思う。
 欲しい商品があるわけではない。金銭の持ち合わせがないわけでもない。ただ、。それだけのことだ。
 大学で毎日淡々と授業を受け、バイトをし、自宅アパートに戻って眠る。そんな面白味のない退屈な日常に、スリル、高揚感、背徳感、そういった非日常の感覚を与えてくれるその行為は、一度手を染めてしまったら最後、もはや彼の悪癖となっていた。
 指が棚の商品に触れる。
 たった百数十円のボール状棒付き飴だ。
 指先で柄を摘まみ、飴を手の内に忍ばせる。
 慣れた動作で、それを素早くジーンズのポケットにねじ込んだ。――瞬間、
「お客様、困りますね」
 不意にかけられた低い声に背筋が震える。
 店の奥、少し高くなっているそこは、座敷にでもなっているのだろう。開いた引き戸の向こうから、眼鏡をかけた男が志羽を見下ろしていた。陰のある風貌は、しかし恐ろしいほどに整っている。
「っ、……は? 何もしてねーし」
 男からの鋭い眼光に気圧されながらも、吐き捨てるように口にする。自身の行為を見られてはいない、という確信があった。店の奥からでは、商品に触れた手は身体の影になるからだ。
「あれ」
 男が、志羽の背後を指差した。操られたように、指し示された方向を振り返る。
 店の出入り口のすぐ真上。年季が入って黒ずんだ壁の色に紛れて、小さく赤く光るものがある。よく目を凝らせば、壁に設置された監視カメラの撮影ランプであることが判る。
 ざり、と男が土間に降りてくる気配。
 向き直れば、男はすぐ目の前に迫っていた。
見ていましたよ。――平田、志羽くん」
「なん、で……名前……」
「覚えてないですか? 昔、よく一緒に遊んだでしょう。ここの孫ですよ」
 男の口元に、ふ、と微笑が浮かぶ。その表情に、在りし日に出会った懐かしい面影が垣間見えた。まだ幼かった頃、この土地を時折訪れていた志羽に、一等親切にしてくれた年上の男の子がいたことを思い出す。
「あ、……流留ながるにい?」
 今の今まで記憶の底に沈んでいたその名前を口にすると、男の目がすっと細められる。
「奥で話しましょうか、志羽くん。……じっくりとね」
 腕を掴まれ、
「……ッてぇなッ! 何す――」
 痛みに声を上げ、流留をキツく睨みつけた。
「志羽」
 しかしまたあの低い声、鋭い目に、今度は至近距離で射ぬかれて、
「ひ、」
 思わず小さく悲鳴を漏らす。
 そこに幼い頃の優しい少年の面影は、もはやない。

 店の奥から続く和室へと、志羽は引き入れられた。
 昔ながらの六畳間。中央にはちゃぶ台がある。その上にノートパソコンが載せられていた。画面には駄菓子屋の店内が映されており、彼がここで、悪癖に駆られる志羽の姿を監視していたことは明白だ。
 ちゃぶ台の周囲には、引っ越し直後のように、多くの段ボール箱が積まれている。
「志羽、悪い子ですね。店の商品を盗ろうなんて」
 その場に引き倒され、Tシャツ越しの背が畳の目で擦れた。
 流留は淡々と口にしながら、近くの段ボール箱の中から、黒い棒状のものを取り出した。それは、男である志羽にとって、あまりに見覚えがある形状だ。
「は……、ちょ、何、それ……」
 さあ、と顔から血の気が引く。嫌な予感に、身体が反射的に逃げの姿勢を取ろうとする。
「――っぐ、ぅ」
 鳩尾に、鈍い痛み。視界が明滅する。
 起き上がろうとした志羽の腹部を、流留の拳が戒めるように強く打ったのだ。腹を抱え、再びその場に転がる。
「ちょっと黙っていてくださいね、志羽」
「お、おい、流留にい」
 畳の上にうずくまる志羽の横腹を抉るように、拳が沈んだ。ぐ、と息が詰まる。さすがにもう、声も出なかった。
「……去年、祖母が急に店を畳むと言いだしましてね。でも、私はどうしてもここを失くしたくなかった。色々と……思い出がありますし」
 曇らせた表情で語りつつ、それとは裏腹に彼の右手は粛々とした動作で志羽のジーンズを脱がせていく。
「でも、最近はこのあたりもこどもが少なくて……駄菓子屋だけだとなかなか、ね。それで、趣味と実益もかねて、商売を始めたんです」
 流留がちらと視線で周辺の段ボール箱の山を示してみせる。
 ぞ、と背筋が冷えた。今、流留の左手に握られているもの。つまりはそういった……所謂『大人のオモチャ』の類いが、箱の中に詰まっているであろうことは、志羽であっても想像に容易い。
 あっという間に下着まで脱がされるが、志羽は抵抗することすらできなかった。特段拘束されているわけではないというのに。
 流留の低い声、淡々とした語り口、陶酔すら浮かんで見える目、作業じみた手つき――それらすべてが物理拘束以上の力で、志羽を圧倒していた。
「っ……、なが――」
 流留の指が、剥き出しになった尻に触れ、思わず声を出してしまう。すかさず、頬を張られる。目の前がちらつく。打たれた左頬がひりひりと痛み、熱をもった。
「さあ、お話はこれくらいにして」
 に、と彼の口元が歪む。心底愉快そうに。――しかしその目だけは、冷たいままで。
「お仕置きしましょうね、志羽」
 まるで愛を囁くかのような甘さで耳朶を打つ言葉に、志羽は身体を固く強ばらせた。

「も、……っ、やめ――!」
 ぐじゅ、と濡れた音。
 四つん這いにされ、高く上げさせられた志羽の尻に、男性器の模造品が容赦なく突き入れられる。
 流留により潤滑剤を用いて解されてはいるものの、元々排泄器官でしかないその場所を、己の性器以上の太さのものによって犯されることは、当然のように酷い苦痛を伴った。
 作り物の性器は、作り物らしく、本物には到底あり得ないアレンジを加えられている。そのひとつが、表面の無数の突起だ。流留がそれを動かすたび、突起が不規則な刺激を内壁に与え、また、窄まりの皺を不自然に押し広げ、異様な不快感をもたらした。
「やめてほしいですか? 私はいいですよ? それでは、これ以上のお仕置きはなしにして、警察に行きましょうか」
 罰を与える手を止め、流留が志羽の顔を覗き込む。
「そんな――ッ」
 明らかに志羽の反応を愉しんでいると見える男の態度に、思わず、ふざけるな、と声を荒らげたくなる。すんでのところで、言葉をぐっと飲み込んだ。
 逆らうことなど、とうにできなくなっているのだ。ここで反抗しても、お仕置きが酷くなるだけに決まっている。ならば、彼に対してとことん従順になるしかない。
「お、ねがい、します……、警察は……」
 弱々しく、請うように。困り眉で向けた上目の視線を、流留がどのように捉えたのか。それは志羽の知るところではないが、しかし流留の機嫌は悪くないように見えた。
「そうですね、嫌ですね。大丈夫、通報は私も本意ではありませんから」
「ひ、ァああっ――!」
 身体を穿つ異物が、角度を変えた。同時に、カチ、と乾いた音。性器ではあり得ない激しい振動が、抽送の刺激に加わる。途端、痛みとは明らかに違う、甘やかな痺れが志羽の全身を駆け抜けた。
 背が弓なりに反り、漏れ出る声に快楽の色が滲んだ。
 嬌声としか表現しようのないそれに驚いたのは、他でもない志羽自身だった。慌てて手の甲で口を強く塞ぐが、まるで事態を飲み込むことができず、ただただ目を白黒させる。
 そんな志羽の様子を眺め、流留は小さく笑う。
かったでしょう? 恥ずかしがらなくてもいいんですよ。そうなるように、動かしたんですから」
「や、やめ……っ、それ、あ、――ッひ、ん、……ふ、ぁ、いや、だァ……ッ」
 突き入れられたものでゆるやかな抽送を繰り返されるたび、表面を覆う突起が、内壁に潜む快楽のスイッチを掠めていく。流留の言葉通り、故意に為されているのだろう。
 排泄器官を、模造品とはいえ男性器によって犯され、はしたなく喘ぐ自分が、志羽は恐ろしくて仕方なかった。流留に仕向けられてのこととはいえ、実際に反応を示しているのは紛れもなく志羽自身の身体なのだ。自分が自分でなくなっていくような感覚は、ただひたすらに恐怖でしかない。
 ぼろぼろと涙が溢れ、畳を濡らす。
『お仕置き』という流留の言葉が、今になって重くのしかかってくる。たまたまこの店に立ち寄らなければ。商品に手を伸ばさなければ。きっとこのような恥辱を味わうこともなかっただろうに。
「…………い」
 掠れた、あまりにか細い声。しかし流留には届いたらしく、志羽を攻め立てる手が止まる。
「ごめ……、ごめんなさい……許して、ください……」
 こどものように泣きじゃくりながら、身体を捩って、流留に視線を向ける。
 涙で滲んだ視界の中で、流留の口元が、にったりといやらしい笑みを浮かべるのを、志羽は、確かに見た。
「――っあァ」
 体内に収まっていた異物が、ずる、と一気に抜け落ちた。
 粘膜に外気が触れる感覚。背筋が大きく震える。太いものを長時間咥え込んでいたそこはすっかり緩みきっていて、ぽっかりと口を開いたままになっているようだった。
 しかし、そんな身体的違和感以上に、志羽の心を占めているのは圧倒的な解放感だ。ようやくすべてが終わったのだ、と思うと、強ばっていた筋肉が一気に弛緩し、身体が畳の上に崩れ落ちた。
「志羽、志羽くん」
「は、何――」
 うつ伏せに横たわる志羽の背に、流留が覆いかぶさってくる。圧迫感に、思わず抗議の声を漏らしかけた。しかし、尻に触れた布越しの硬い熱によって、それはあえなく飲み込まれる。
 じっとりとした吐息が、志羽のうなじを撫でた。
 全身が粟立つ。どうあがいたとしても、逃げることはもはや不可能だ。
「……君が帰ってくるのを、ずっと待っていたんですよ。私の……かわいい志羽くん」
 かちゃかちゃと小さく金属音が鳴り、ジッパーが下ろされる気配を背中で感じとる。これから一体何をされるのか。もはや訊ねるまでもなく、志羽ははっきりと理解した。
「あ……、あ、やめて、ごめ……流留にい……」
「謝らなくてもいいですよ。お仕置き、もうおしまいですから」
 制止の声が、彼に届くはずもない。
 流留の陶酔に染まった言葉とともに、燃えるような熱の塊を、いまだ閉じきっていないそこに押しつけられる。
 志羽はただ口をきつくつぐんで、再び身体を蹂躙される瞬間を待つしかない。
 目の前の畳は、涙ですっかりその色を濃く変えてしまっていた。 

(了)

       
« »

サイトトップ > 小説 > 同性愛 > 単発/読切 > 罪悪と懐古の底で