カサブランカ・オードトワレ

 灼けたアスファルトに恵みの雨が落ち、夏独特の匂いが開け放したままの窓から流れ込んでくる。

 夏の香はすぐに部屋いっぱいに満ち、次第に肌を包み込んでいく。

 生温い夏の気配から逃げるように、私はベッドへと潜り込んだ。

 

 冷たいシーツの中にある、私とは別の、もう一つの温度。それにそっと指を伸ばし、頬を寄せた。

 磁器のように白く滑らかで、柔らかい肌だ。そこに赤く散った小さな花片が、美しく映える。――花を散らせたのは、紛れもない私自身。

 肌に刻み付けた私の痕跡を、ひとつずつ指でなぞる。夜空に輝く無数の星の中から、星座を描き出しているような気分だ。

 私の指先が豊かな丘に辿り着いた頃、彼女はようやく目を醒ましたようだった。

「ん、もう。何よ、人の身体で遊ばないの」

 身を捩りながら、彼女は言った。しかしその表情は咲き綻ぶ蕾のような、嫌味のない可憐さをたたえている。

「ふふ、だって、寝顔が可愛かったんだもん」

 悪びれず、私は答えた。そしてまた、指をゆっくりと動かす。触れるか触れないか、ギリギリのラインで、彼女の肌を堪能する。

「ばか。……こら、また触って。懲りない子ね」

 聴き慣れた声が私の体に流れ込み、甘い痺れが全身を駆け巡る。ああ、本当に、心からこのひとのことが、愛おしい。

 思わず、その背に腕を伸ばした。

 けれどそれは彼女によってやんわりと受け止められる。いつものように。

 そのまま腕と腕が、絡む。

 身体と身体が触れ合い、鼓動が交わる。

 二人の熱でじっとりと湿る肌すら、心地良い。

 私は彼女の胸に顔を埋めた。カサブランカ・オードトワレの上品な香りが、私の鼻腔をくすぐる。

「ねえ、もうすぐ、雨が降りそうだよ」

 

 一言だけ、私は呟いた。

 一言で充分だった。

 胸の内にある、本当の言葉は、確かに彼女の心に届いているはずだから。

 そう、彼女の身体から香る、僅かな白百合の芳香が、私に届いているように。

「たとえ雨が降らなくても、私はあなたを帰さないわよ?」

 その言葉に私はくすくすと笑って、ゆっくりとまぶたを閉じた。

 彼女の温度と、ゆっくり、ゆっくり、溶け合っていく。

 

 ――そして私たちはまた、シーツの波で溺れる。

(了)

       
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