仏像ガール!!

 彼女とは、インターネット掲示板で出会った。

 その掲示板の名前は『極楽浄土』という。仏像好きや仏教マニアが集まり、議論を交わしたり、時には同志を募集したりする場所だ。私はこの掲示板――仲間内では『楽土』と略して呼ぶ――が出来た当初からの古参であり、自他共に認める仏像好きである。

 仏像好きといっても、特段仏教に造詣が深いわけではない。仏像の持つ独特の雰囲気や、絶妙な表情、そして体勢や格好などを仏像ごとに見比べるのが、私の楽しみ方だ。

 仏像は基本的に写真を撮ることは出来ないから、私は自分の記憶を頼りに仏像のイラストを描き、それを種類別にファイリングしている。これが結構、掲示板仲間の間でも評判なのだ。

 最近掲示板に顔を出し始めた彼女は、いつも私のイラストに高い関心を示してくれ、私たちは次第に掲示板上だけではなく、直接メールをやり取りするようになった。

『衆生さん、良かったら一緒に仏像を見に行ってくれませんか?』

 そんなメールが、彼女から届いたのは二週間ほど前のことだ。『衆生』というのは楽土における私のハンドルネームであり、彼女は『アプサラス』と名乗っていた。

 メールをやり取りする中で、彼女が私よりも十歳も年下で、今流行の『仏像ガール』だということは分かっていた。しかし『仏像ガール』とは名ばかりで、本物の仏像をいうものを見たことがないらしい。そこで、掲示板でも週一で寺に出向くと公言する私に声をかけてきたのだ。

『初めて仏像を見に行くのに、一人じゃ心細いですものね。いいですよ、ご一緒しましょう』

 彼女が近隣県に住んでいるのは聞いていたので、私は迷わず了承した。

 それから数通のメールをやり取りして、拝観する寺を奈良の興福寺に決めた。

 興福寺には、高い人気を誇る阿修羅像が安置されている。彼女によれば、仏像ガールの中でも特にこの阿修羅像を愛好する『アシュラー』という女子までいるそうだ。そして彼女もその一人なのだという。

 待ち合わせの日が近くなってきた頃に『互いの当日の服装を決めておきましょう』と私が提案したが、彼女は『会えばすぐ分かると思います』といってきかなかった。仕方ないので私の服装と、最大の特徴としてスケッチブックを手にしていることなどを伝えておいた。これで、私が彼女のことを分からなくても、彼女が私を見つけてくれるだろう。

 そして今日が、彼女の仏像デビューの日。

 寺の場所は分かっているということで、彼女とは興福寺の五重塔の下で待ち合わせている。

 興福寺の敷地は広い。東大寺ほどではないが、それでも一般的な寺と比べれば歴然とした違いがある。土地が平坦であることが、唯一の救いであろう。この敷地面積で、さらに山寺だったらと仮定するとぞっとする。

 近鉄奈良駅で電車を下りた私は、興福寺まで徒歩で向かう。駅からさほど距離はない。時間がなければタクシーを使うところだが――運転手はいい顔をしないだろうが――幸い時間にゆとりを持って自宅を出ており、急ぐ必要もない。

 歩道のあちこちに、鹿が歩いていた。本当に鹿の多い街だと改めて思う。

 大通り沿いに進み、芝生の広場に囲まれた脇道を右に折れる。既に五重塔が前方に見えていた。この道を直進し、突き当たりの左手に、待ち合わせ場所の五重塔が聳え建っている。

 待ち時間まで余裕はある。きっと彼女はまだ到着していないだろう。

 五重塔に近付くにつれ、その大きさをしみじみと実感する。どっしりとした佇いに、雄々しさが漂う。しかしその反り返った屋根は見る者全てに優美さを感じさせ、どこか女性らしさもある。仏と同じく両性具有的な美が、この五重塔には含まれているように思えた。

「あ」

 思わず、声が出た。五重塔に気を取られていて、私は今までその違和感にまるで気付くことがなかった。観光客が、皆一様に五重塔を大きく避けるように動いている。立ち止まって、遠巻きにそこを見ている者もいた。否、これを見ずにいられる者が果して存在するだろうか。

 五重塔の周辺には立入を禁じるための柵がある。その柵に寄りかかるようにして、それはいた。――いや、いらっしゃった。三つの顔、そして六本の腕を持ち、その内の一組を胸の前で静かに合わせている。仏法を守護する神々『八部衆』に属し、修羅道の主でもある阿修羅。その阿修羅が、五重塔の前に静かに佇んでいた。

 私は周囲と同じように、その場に立ち尽くしてそれを見た。信じられない。なぜ、阿修羅がこんな場所に。

 くる、と阿修羅の首が動いた。正面の顔で、私を見たのだ。多くの女性ファンを生み出しているその神妙かつ絶妙な表情を崩し、鬼神らしからぬ満面の笑顔を浮かべた。そして合掌をやめ、なんと両手を頭の上で大きく振り始めたではないか。背中から伸びた残りの四本の腕が、ゆらゆらと揺れている。

「衆生さ~ん! こっちですよぉ~!」

 甲高い声で、阿修羅は私を呼んだ。周囲の視線が私に向けられる。私はといえば、驚きで腰を抜かし、地面に尻餅をついていた。

 阿修羅が駆け寄ってくる。私に向かって。

 揺れる腕――よく見れば新聞紙を丸めて作られているようだ。

 三つの顔――どうやら両サイドの顔はお面らしい。近くで見れば阿修羅とはほど遠い。

『会えばすぐ分かると思います』

 彼女の言葉の意味を、ようやく私は理解した。

 この紛い物の阿修羅こそ、彼女――『アプサラス』だ。

「う、うわああぁあああ!」

 私は無我夢中で叫んでいた。

 しかし、抜けた腰では立つことすらままならず、当然逃げることも出来ない。

「やだなぁ、衆生さん。そんなに感動しちゃいました? 良く出来てるでしょ? これ、衆生さんのイラストを元に作ったんですよ。初めての仏像拝観だから、気合い入れちゃおうって思って!」

 彼女は嬉々として言った。その無邪気さに、酷い目眩がした。

 これが修羅場というものか。

 ああ、この際、悪鬼でもなんでもいい。私をこの場から、どうか救い出してほしい。

 彼女に腕を引かれ、無理矢理立たされながら思う。

 本物の仏像を拝まずとも、間違いなく彼女は『仏像ガール』であり、そして真の『アシュラー』であった――と。

(了)

       
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