カミさまのいうとおり!第1話

 幼い頃、酪農の体験学習で高原に行ったことがある。

 どこにあるなんという場所だったかは忘れてしまったけれど、そこには泊まり込みで自給自足生活を体験できるのがウリの小さなペンションがあった。

 体験学習に参加した子供たちは、そのペンションに泊まりながら、酪農家の生活を体験するのだ。

 さすが自給自足を謳うだけあって、高原には牛や羊など多種類の動物が放牧されていたし、丸太作りの宿泊施設のそばには農作物が豊富に実った広大な畑もあった。

 朝早くに起き、家畜の世話をしてから、自分達だけで食事を作る。昼間は畑仕事や、近くの川で水汲みをしたり夕食の魚を釣ったりと、私をはじめ参加した子らは毎日忙しなく働いた。

 そこで過ごしたのはひと月ほど。

 自宅に戻る頃には、私はすっかり農業の魅力にとりつかれてしまっていた。

 やわらかな土と草と太陽のにおい。

 動物の世話は子供の私には決して楽なものではなかったが、それでも懸命に面倒をみれば、動物は徐々になついてくれた。

 自らの手で畑に蒔いた野菜の種が一斉に芽吹いた時は、跳び上がるほど嬉しかったのを今でも覚えている。

 そしてその体験学習から帰宅した私は、早速両親にこう宣言したのだ。

 『将来は大高原で自給自足生活をする』と。

 

「というわけで、私はこの天岩戸高校で農業の何たるかを学び、大いなる自給自足生活の礎を築き上げたいと思っています。以上、新入生代表、弁財琴子」

 入学式の挨拶とは到底思えない私の言葉に、会場内はどよめきに包まれていた。

 一応、事前に書いておいた原稿を読んでいるのだけれど……確かに入学早々自らの過去と野望を切々と語るなんて前代未聞のことだろう。

 本来なら新入生代表として、夢と希望に満ちた高校生活に対する心持ちだとか、そういったことを話すべきだったのかもしれない。

 この原稿は中学と高校の両方で内容を確認してもらっている。正直なところ、自分でもこの内容でオーケーが出るとは思わなかったが、書きたいことを書いていいと言われていたので、幼少期の体験を交えて農業に対する意気込みなどを思うがままに書き連ねた。

 勿論両者からの確認の際にゴーサインを出されたからこそ、私は今この場でこうして読み上げたまでだ。

 ……だからこそ、この会場内の動揺が理解できない。

 もしかしてこれはドッキリ企画か何かなのだろうか。

 痛いほどの視線を浴びながら、とりあえず壇上からは下りたものの、心中は気が気ではなかった。

 きっと原稿をチェックした教師たちに陥れられたに違いないのだ。私としたことが、何たる不覚。

 もしかすると、新入生としてあるまじき慇懃無礼な私の発言に激怒した校長を始め教師の皆様方やPTAの親御さんたちが「けしからん何なんだあの小娘はさっさと退学処分にしてしまえ」などと緊急決議して私は入学式当日というのに学校から追い出されそれといってとてもそんなことを家族に報告できるはずもなく途方に暮れた私は華麗なる自給自足生活の野望も虚しく公園で野鳩と共に段ボール生活を送ることになってしまうのだ……!

 そんなことをグルグルと考えているといつの間にか入学式は終了し、不安と疑念と困惑で渦巻く脳内とは裏腹に身体は人の波に流され、気付けば私は教室でボンヤリと黒板を眺めていた。

 教壇に立っている男性が、黒板を埋めるかのような勢いでそこに白いチョークを走らせる。

 恐らく私のクラスの担任なのであろう。しかし私は彼の名前を全く覚えていない。自己紹介もいつの間にか終わってしまったのだろう。数分前には書かれていたと思われる担任教師の名前はすでに黒板にはなく、代わりにこれから一週間の予定がびっしりと箇条書きされていた。

 オリエンテーションや校内施設見学など、一年生の四月にありがちな内容ばかりだったが、それにざっと目を通せば自然と深い溜息がこぼれた。

 私はきっと退学になってしまうのだ。

 だからオリエンテーションで自己紹介も出来ない。牛舎や鶏舎も見学出来ないし、何よりその先に待っている授業も受けることもない。

 この高校は、農業高校としては全国的に有名で、本格的に農業を学ばせてくれると祖父から聞いた。だからどうしてもこの高校に入学したくて、塾をふたつも増やしたのだ。

 勉強は嫌いだったが、将来の夢のためだと思えばそれほど苦ではなくなった。

 結果として天岩戸農業高校には合格したものの、実はそれほど学力重視の学校ではなく、さらに農地過疎化の事情もあり競争率も低かったというオチがつく。

 そして死に物狂いで勉強した私は、うっかり首席合格。入学式で新入生代表挨拶をするはめになってしまった。

 ――あの時、あれだけ勉強をしていなければ今頃……などと、今さら考えても仕方がないのだけれど。

「あー、えー、弁財さん?」

 すっかり考え込んで、文字どおり頭を抱えていた私を、誰かが呼んだ。

 ちらと顔を上げると、同じクラスの生徒なのだろう、長い髪を高く結った快活そうな女の子が私を覗き込んでいる。

 知らないうちに、ホームルームすら終わってしまったようだ。

 教室には彼女と私、あとはほんの数名がまばらに残っているだけだった。

「えっと、何か?」

 私が尋ねると彼女は教室外の廊下を気にしながら、

「弁財さんをね、呼んでほしいって。廊下にいる人たちが」

 少し小声で言った。

 それを聞き廊下に目をやれば、なるほど確かに教室の入口前に誰かが立っているようだ。

 もしかすると、このまま私を校長室に連行しようとする何者かかもしれない。

 いや、うじうじとしていたってダメだ。そもそも私は何もしていないじゃないか。退学という話になったら、断固拒否して然るべきなのだ。私は、絶対、全く、0.01%も悪くない!

「そう、私は悪くない!」

 叫んだその勢いで、椅子から立ち上がる。椅子はそのまま激しい音をたてて床に転げた。

 目の前の少女は、目を点にして私を見ている。

「よ、よくわからないけど、頑張ってね……でいいのかな」

 事情こそ飲み込めていないものの、ただならぬ事態であることは察したのか、少女は私に向かってそう言って、小さくガッツポーズを作ってみせた。

 なんていじらしく、可愛いらしい少女なのだ。強制退学の危機を乗り越えたあかつきには、私は必ず、この子と友人の契を結ぶ――!

 心に堅くそう誓う。

 そのためには、とにもかくにも、目の前の事態に早々に対処しなくてはならない。

 私は少女に短く礼を言うと、何者かが待ち受ける廊下へと急ぐ。倒してしまった椅子は、私の後ろで少女が片付けていた。すまない、名も知らぬ少女よ。そしてありがとう。心の中で、呟いた。

 

 廊下には、見知らぬ男子生徒が数名立っていた。

 呼びつけたのが教師ではなく、生徒であったことに、内心ほっとする。少なくとも、退学云々という用ではなさそうだ。しかしながら、彼らに呼ばれる理由には全く心当たりがない。少なくとも、仏頂面の背高ノッポや何故かバラの花束を持った坊っちゃま風、頭の堅そうな知的眼鏡、ムキムキの体育会系や、やたら眠そうな小学生に、さらには顔に土をつけた作業着の男に囲まれるような悪いことはしていない。決して。

 そう、囲まれていた。いつの間にか。目にもとまらぬ早業とはこのことか。六人の見知らぬ男子生徒たちは、私の顔を穴があくほど見つめている。

 何なんだ、この異常な状況は。

「い、一体何の用ですか」

 何とか絞り出した声が震えた。ああ、私の繊細な心では、この事態に耐えられない。

 ――沈黙。

 ええい、何故誰も口を開かないんだ。

 スクラムの中心に据えられて怯える私は、今や廊下を行き交う生徒たちの注目の的だった。ただでさえ、新入生には『入学式で野望を語った変人』として認識されているだろうに、それに加えて上級生にまで目をつけられてはたまらない。

 人生の目標はあくまで『静かに、のんびり、目立たず、楽しい自給自足生活を送る』こと。他者に注目されることは、私にとって何の利益にもならないというのに、すでに出鼻を挫かれてしまったようだ。

「お前が弁財か」

 背高ノッポがようやく口を開いた。いつまでも無言で囲みこまれたままにならなくて良かった。私は肩をなでおろした。

「そうですけど」

 私が無愛想に答えると、

「俺と結婚してくれ」

 どういうわけか、求婚された。――求婚?

「いやいやいや! 意味がわからないんですけど!?

 突然どういうことだ。『結婚してくれ』? 初対面の相手に、一体この男は何を言っているのだ。

 しかしノッポの勢いに押されるように、

「いや、僕と結婚して欲しい」

「共に農業界の神になろう」

「弁財、俺と米農家やろうぜ!」

「それよりうちの牧場で遊ぼうよー」

「ええっと、……タマネギ、好き?」

 残りの五人の男たちが、口々に好き勝手言いながら、ずずいと私に一歩ずつ寄ってきた。

 苦しい。

 溺れる者はワラをも掴むというが、納豆のようにワラにぎゅうっと囲まれている私は、一体何を掴めばいいのだろうか。

 否、マリーアントワネットは言っていた。「パンがないなら菓子を食え」と。つまり私は、ワラが掴めないなら――。

 五度、鈍い音がした。同時に拳にビリビリと衝撃が走る。

 カエルの潰れたような声が聞こえた。

「掴めないなら、殴ればいいじゃない」

 私の拳を受けた五人の男が、よろよろと後ろによろめいた。その足元から、パチパチと拍手が聞こえてくる。

 見下ろせば、あの眠そうな顔をした小学生が――そう見えるだけで実際は高校生なのだろうが――そこにしゃがんでいた。

 こいつ、出来る。

 そう直観した。

 少年も私の心中を察したかのように、にやりと笑ってみせた。

 

 

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